一日や一年の長さが分かるようになりました。
時間を認知したことで
新たな時代が始まったのです。
およそ5,000年前
エジプトで作られた暦である 太陽暦は→
一日を 24時間
一年を 12か月と数えるものでした。
(ナゼ)太陽暦によって
古代エジプト王朝は→
それ以前よりも 的確に
季節に対応できるようになりました。→
それは 民から 税として
穀物を徴収するために役立ちました。→
正確な暦は ファラオが
民を統治するためには→
非常に重要なものだったのです。
しかし 古代の暦の中ではマヤ文明の暦が最も正確です。
マヤの人々は 太陽 恒星
そして 惑星の複雑な動きを追うために→
天文台を建設し
複雑な計算法を編み出しました。
マヤの遺跡からは あらゆる天体の
サイクルを計算するための→
正確な図表が発見されています。
マヤ文明ばかりでなく 古代メソポタミアギリシャ イスラム 中国でも→
天体観測をもとにした暦が
作られました。
♪♪~
ついに ヨーロッパで 宇宙 そして太陽と それを取り巻く惑星に関する→
新たな説が登場します。
長い間 ヨーロッパの人々は 2世紀にプトレマイオスが提唱した宇宙論→
「地球は中心にあって動かず
その周りを宇宙が動いている」という→
天動説を信じてきました。
しかし 16世紀中頃天動説に異を唱える者が現れました。
ポーランドの聖職者であり
天文学者でもある→
ニコラウス・コペルニクスです。
コペルニクスは宇宙の調和の原理を知るために→
先駆者たちの宇宙論の
矛盾を正そうとしました。
そして ついに
太陽と地球の位置を入れ替える→
地動説を発表しました。
このコペルニクスの地動説は年間の惑星の動きを解明し→
地球を中心とする それまでの世界観は→
太陽を中心とするものに変化していきました。
それは 科学と宗教の対立の
きっかけともなり→
カトリック教会は 19世紀になるまで→
聖書とは異なる世界観である地動説を認めませんでした。
しかし コペルニクスの宇宙論は
次第に定説となり 発展していきました。
♪♪~
イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイは→
1609年 自作の望遠鏡を
空に向け→
次から次へと
発見を重ねます。
月のクレーター 金星の満ち欠け→
天の川の無数の星→
そして 木星の衛星などです。
(ナゼ)同じころ 太陽に関心を向ける研究者が 次々と現れました。→
1610年の冬には イギリスの天文学者
トーマス・ハリオットが→
望遠鏡を用いて
太陽の表面に黒点を発見しました。
ハリオットが行った 太陽の黒点の観測は
重要な成果をもたらします。
黒点の数が 周期的に
増減して見えることから→
太陽が自転していることが
分かったのです。
(ナゼ)ガリレオも
決定的な発見をしました。
彼は 黒点が太陽の端に遠のくと
わずかに ゆがんで見えることから→
太陽が球体であることを
証明したのです。
一方 太陽のパワーは 相変わらず
権力に利用され続けました。
国の支配者たちは 都合良く
天文学を戦略的に使おうとしたのです。
そうした支配者の思惑は→
科学者たちにとっては追い風ともなりました。
ヨーロッパで 次々に
科学の学術団体が登場します。
「ロンドン王立協会」
「パリ王立科学アカデミー」が設立され→
「パリ天文台」も新たに建設されました。
自らを 「太陽王」と呼ばせたフランス国王 ルイ14世のもとで→
新たな組織は 科学を進歩させ→
新機軸が 次々に打ち出されました。
1666年 万有引力の父と呼ばれる
アイザック・ニュートンが→
太陽光線をプリズムで分析し
目に見える光が→
7つの色の「スペクトル」で
構成されていることを発見しました。
その150年後には→