2018/12/22(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた〜秘録 小選挙区制導入[字]


そして 東西冷戦も終結。
激動する世界と どう対峙するのか

問われていた。
一方 当時の政治体制は
自民党が過半数→
社会党が
そのおよそ2分の1の議席を分け合う→
55年体制と呼ばれるものだった。
与野党が もたれ合う十年一日のごとき体制では→
新しい時代に対応できないと
後藤田は考えていた。
衆議院への小選挙区制の導入。
これこそが 後藤田が日本の政治を立て直すために→
処方すべきと考えていた劇薬だった。
1つの選挙区で1人の候補者しか当選できない→
小選挙区制。
中選挙区制が助長した派閥間の無益な抗争を断ち→
選挙に カネがかかりにくくする。
そして 政党が政策を競い合うことで→
有権者自身が


日本の進むべき道を選択することを→
理想とした。
ただ 自民党にとっては→
政権の座を奪われかねない
危険な制度でもあった。
後藤田が会長を務めていた
政治改革委員会でも→
ほとんどが 反対意見だった。
後藤田が 党内の強い反対を押してまで目指した小選挙区制。
その導入のカギを握った人物がいた。
どうも こんにちは。はい どうも。
こんにちは。
よろしくお願い致します。
当時 47歳の若さで
自民党幹事長を務めていた 小沢一郎。
保守と保守の二大政党制を
志向していた小沢は→
以前から 小選挙区制を強く主張していた。
しかし 剛腕と称された小沢の存在が→
政治改革を
権力闘争へと変質させていく。
小沢が所属していた
最大派閥 経世会。
数の力を背景に
自民党を牛耳っていた。
小沢主導で
小選挙区制導入が進められる中→
経世会の独断専行だと
他の派閥から猛反発が起きた。
1991年8月。

小沢らの経世会が後ろ盾となった海部内閣は→
政治改革法案を国会に提出した。
しかし 小選挙区制への党内外の反発を抑えきれず→
法案は ほとんど審議されないまま
廃案に終わった。
この法案に先立って→
後藤田がまとめ上げていた政治改革大綱。
選挙制度だけでなく
地方分権の確立や国会の活性化など→
6つの抜本的改革を掲げていた。
当時のメモには 改革論議が 入り口から権力闘争に変質していることへの→
強い憤りが つづられていた。
<政治改革法案が廃案になったあと→
私は 経世会を取材する
担当記者になりました>
おはようございます。
おはよ~う。
<当時 自民党内で
強い反発を招いていた経世会。→
一方 派閥内部でも 小沢一郎氏への不満が
くすぶっていました>
<そして
経世会の会長の座を巡って→
親小沢 対 反小沢の対立が
先鋭化>
<派閥の会合で
小沢氏が公然と批判される事態にまで→
発展したのです>
<その急先鋒が 自民党の次の世代を担う一人といわれていた→
中村喜四郎氏でした>

<中村氏は 後にゼネコン汚職事件で有罪判決を受け→
マスコミとの接触を
ことごとく断ってきました>
ありがとうございます。
<今回 中村氏は24年ぶりに カメラの前に立ちました>
<政治の姿を大きく変えた
小選挙区制の導入。→
自分が知る内実を→
正確に伝える責務があるという思いからだと言います>
<経世会のプリンスと呼ばれ→
40歳にして閣僚を経験していた中村氏は→
小沢氏とも近い存在でした>
<しかし 小沢氏の影響力排除へと動いたのです>
<政治改革を巡る動きを取材する中で→
私には もう一人強く記憶に残る政治家がいました>
<当時 小選挙区制に
最も強硬に反対していた→
小泉純一郎氏>
<小泉氏は 加藤紘一氏 山崎 拓氏と共にYKKと呼ばれ→
反経世会 反小沢の先頭に立っていました>