2018/12/22(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル 平成史 第3回▽“劇薬”が日本を変えた〜秘録 小選挙区制導入[字]


社会党の参議院議員だった大脇雅子。
少数意見が反映されにくいと
小選挙区制に反対していた。
衆議院を通過した政治改革法案が
参議院で採決される直前。
党の最高幹部から 都内のレストランに

呼び出されたことを打ち明けた。
政治改革法案には→
政治活動にかかる費用を税金で負担する政党助成金の創設も盛り込まれていた。
当時 社会党には
70億円が交付されると試算されていた。
それは 党の1年分の収入に
匹敵するものだった。
そして迎えた 参議院の法案採決の日。
大脇は説得には応じず 反対票を投じた。
野党に転じていた自民党に加え→
17人の社会党議員が反対票を投じたことで→
法案は否決。
小選挙区制は 三たび葬り去られたと誰もが思った。
しかし この1週間後。
与野党それぞれの政治決断が法案を思わぬ着地点へと導いていく。
1994年1月28日 雪の夜だった。
細川総理大臣と野党 自民党の河野総裁との→
トップ会談が 急遽セットされた。
この会談を水面下で取りしきっていたのが→
自民党幹事長だった森と
新生党代表幹事だった小沢だった。
会談の当事者が
その詳細を初めて明かした。
当時 自民党は 離党者が続出し→


政治改革に後ろ向きと見られることを恐れる議員も多かった。
森は 会談次第で
党の分裂も招きかねないと→
悲壮な覚悟だったという。
小沢は 会談の結果次第では自民党に壊滅的打撃を与えるために→
衆議院の解散も
視野に入れていたことを明かした。
一方で 森は→
政治改革を公約にしていた細川や小沢にとっても→
苦しい局面だと見ていた。
会談は 最後まで神経戦だったという。
そして 日付をまたいだ午前1時。
連立政権側と自民党の間で交渉が成立した。
小選挙区の割合が増え
小政党に不利になった。
比例代表は 全国単位から
票が分散する地域ブロックに変更され→
ここでも 小政党に不利になった。
政治家個人への企業・団体献金も一団体に限り認められ→
議論の発端だった政治資金の規正も
妥協が図られた。
小選挙区制導入を含む政治改革法案は→
自民党が賛成に回ったことで圧倒的多数で成立した。
この日 後藤田は→
平成元年から5年間の歳月をかみしめながら ペンを握ったという。
「未だ三合目」。
後藤田が政治改革に着手してから1,800日が たっていた。
<政治改革法が成立した2年後→
小選挙区制による衆議院選挙が初めて行われました>
<与党に返り咲いていた自民党>

<それに対し 小沢一郎氏が新たに結党した新進党→
そして 後に政権を獲る
民主党が挑みました>
<このあと これまでに
7回行われた衆議院選挙でも→
自民 対 非自民の構図は
変わりませんでした>
<一方で 非自民の側は→
離合集散を繰り返しました>
<この間
55年体制の一翼を担った社会党は→
衆議院で2議席にまで激減しました>
<そして 理想とされた二大政党による政権選択可能な政治は→
定着には至っていません>
<この中で 私が小選挙区制導入という大きな波を→
したたかに乗り切ってきたと思うのが
公明党です>
<1999年から 自民党と
連立を組んだ公明党。→
選挙では 小選挙区は自民党
比例代表は公明党と→
支持母体に呼びかけ
存在感を示しているからです>
<小選挙区制という劇薬は 政治に
さまざまな地殻変動を起こしました>
<制度導入後
2度 政権交代が実現。→
中選挙区制時代にはなかった
緊張感が もたらされたと言えます>
<その中で→

政治主導の政策決定が目立つようになったのも→
大きな変化でした>
<しかし いわゆる死票が多く→
政治に多様な意見が
反映されにくくなったという指摘も→
無視できません>
<思い返せば 政治改革は→
このままでは 国民から
政治が見捨てられるという→
危機感から始まったものでした>