2019/01/14(月) 16:10〜17:53 ten.【ノゾキミ…壮絶な競争!日本女子フィギュア界で京都の17歳奮闘】[字]


よかったと思えてもらったらええけどな。
>>そうですね、よかったと思っ
ています。
>>一方で、
父親はたまに面会には来たものの、
佑一さんを連れていこうとはしま
せんでした。
佑一さんは次第に、家族とのつな
がりを求めなくなりました。
>>僕の中でも複雑ですよね。
おやじと会いたいけど、
ちょっとよくないみたいな話も聞
かされるしみたいなんで。
どうしたらいいんだろうみたいな。
兄貴に関しても、
一回、
なんか僕が中学生ぐらいのときに、
僕とおやじとどっちと住みたいみ
たいなことを聞いてきて、僕は分
からないので、分からないって言


って、それで、それから、
また来週ぐらいに来るわって言わ
れて、そこからもう、二度と来な
かったんですけど。
そのときぐらいから、
もう結構、
自分の中で、なんかそういう、
親子とか兄貴とかに期待するのも
結局疲れてきて、それだったら、
もう自分でどうにかしようと思っ
て。
>>頼れる家族は、もういない。

1人で生きていくと心に決めた佑一さんは、
奨学金を利用して大学院まで進み、
勉強とアルバイトに明け暮れる日々を過ごします。
そのさなか、
父親が亡くなったことを、突然知らされました。
父親の死をきっかけに、
佑一さんは家族とは何か、
深く知りたいと思い始めました。
>>これですね。
これ、マフラーと時計なんですけ
ど。
>>調べを進めていく中、
母子寮の職員から、
母親の富代さんの形見である、マ
フラーと時計を手渡されました。
そのとき聞かされたのは、
自分の知らない母親の姿でした。
>>いつもひざの上にだっこして、

かわいがってくれていたよみたい
な話でしたね。
私にはこの子がいるから大丈夫っていうふうに、
すごいかわいがってくれてたみた
いです。
自分が愛されていたということが
分かったっていうことが、
すごく大きな、
自分の中で意味があって、本当、
それがすごい一番大事なのかなっ
て思いますね。
逆にこれが僕、
愛されてなかったということだったら、僕の中での家族という意味
は、また全然違ったものになって
ると思いますし。
>>確かにあった母親の愛情を感
じ、
家族を受け入れられるようになっ
た佑一さん。
今は、
自分自身が家族を形作っていこうとしています。
日本に留学しているリトアニア人
の女性と、去年、婚約しました。
家族と生きていきたい。
そんな思いで、
背中にあるものを刻みました。
家族の名前です。
兄、
父親、そして母親。
それぞれの名前の一文字が、佑一

さんを包み込み、心を支えてくれ
ています。
>>家族が一緒にいるっていうような記憶とかも特になくて、なん
かこう、ばらばらなイメージが自
分の中でずっとあって、
そういう意味で、
入れようかなと思いましたね。
>>佑一さんは毎年、
震災の日が近づくと、
母子寮の跡地を訪れます。
首には、
母親の形見のマフラー。
跡地にあるほこらには、
母子寮で亡くなった5人に似せた
お地蔵さんが収められています。
震災で家族とのつながりを失って
も、前に進み続けた24年。
それが今の佑一さんの生きる自信
になっています。
>>自分のルーツを考えたりだと