2019/01/15(火) 18:15〜19:00 キャスト[字]語り継ぐ 阪神淡路大震災の経験▽東京の人気食パンがついに大阪に“上陸”


ころですよね。
そして、先ほど被害者の母親が

弁護士を通じてコメントを発表しました。
続いては特集です。
続いては、「阪神淡路大震災」を知らない子どもたちに、
あの日の記憶を伝え続けている元
消防士の男性がいます。
1995年1月17日。
「黒い煙が、何本も何本も、上がってきています」
人々は、壊れていく街を、ただ、
見つめるしかありませんでした。
震災を経験していない世代が増え
ている現状があります。
そして、阪神淡路大震災を伝え続
ける、
元消防士の男性。
あの時、起きたことを、今も、語り継ぐ意味とは。
「悩む必要ないので、自分の知っ
てることを、
そのまま書くようにしてください



子どもたちにとって、阪神淡路大
震災とは何か。
長田南小学校をはじめ、神戸市内
の児童
500人あまりに、アンケートを
実施しました。
震災の起こった日付は、9割近く

正しく答えられましたが、具体的
な被害については、
「津波」など、実際にはおきてい
ない事を書いたものや、
空欄のままのものが多くありまし
た。
今、震災を伝える環境が、変化し
ています。
「アンケートでは、小学生の3人
に1人が、
家族から、阪神淡路大震災の話し
を、聞いたことがないということ
がわかりました」
神戸市に住む人のうち、震災を経験していない割合は、
震災後20年の時点で、44%。
近いうちに、半数を超えると考えられています。
小学4年生の佐々木海くん。
震災後に生まれました。
海くんの両親も、震災を経験して
いません。
震災を何で知ったかという質問に

対し、最も多かったのは、
「学校の授業」という答えでした。
一方で、教える側にも、様々な葛藤があります。
全国の学校などで、当時の記憶を
伝え続ける男性がいます。
野村勝さん、80歳です。
野村さんは、震災当日、消防士として、
現場に駆けつけました。
24年前に何が起きたのか。
子供たちに、すべてを、伝えます。
神戸市内で勤務にあたっていた消防士はおよそ300人。
圧倒的な被害を前に、できること
は、限られていました。
神戸市だけで、4500人以上が
亡くなり、
7000近くの建物が全焼しまし
た。
2時間にわたる、野村さんの授業
が終わりました。
語り部として、子供たちに話をし
てほしいと、
野村さんには、多くの依頼があり
ますが、
震災当時のことを思い出すのは、
辛いといいます。
なぜ、阪神淡路大震災を伝え続け
るのか。
24年前、助けられなかった命の
重さを知る野村さん。
震災を知らない、全ての人に、「

生きる」ことを、伝え続けます。
古賀さん、
語り継ぐことの難しさ、
つらさ、
どちらもあると思うんですが。
でも、やっぱり体験できないわけ
ですよね。
試しにやってみるということが
できないわけですから。
それをどう伝えるかということで
すけれども、
本当に怖いんだとか、
本当に危ないんだということを
なるべく感じてもらうということ

大事だと思うんですよ。
教科書で
何人死んじゃいましたということ
ではなくて、
それを感じてもらう。