2019/01/16(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都『二條陣屋』へ】[字]
そういう判断でありまして、やってきましたが、このような結果に
なって、
ファンの人たちには本当に申し訳ないという気持ちです。
>>きょう開かれました、この引
退会見では、
涙ぐまれるシーンもありました。
そして残念だという声もね、増田さん、
多くありますよね。
>>やっぱりけがをしながらでもね、ほかの横綱が休まれてるから、
やっぱり横綱としての責任感で土
俵に立たれる姿とかをね、やっぱ
り見てましたし、
やっぱり相撲の横綱というのはこう、こういう感じでやらないとい
けないんだっていうところをね、
見せていただいた時期もしっかりありましたから。
落ち着いたらね、
あのときの心境なんかもね、
また本音の部分で聞きたいなって
思いますね。
>>そうですね。
振り返りますと、
この元横綱・稀勢の里なんですが、
歴代2位の早さで新入幕を果たしました。
ただ2017年まで、この横綱昇
進、
73場所、
史上最も遅い出世ともいわれたんですよね。
19年ぶりの日本出身横綱という
ことで、きょうの会見では横綱と
して皆様の期待に添えないという
ふうに、涙を流されていました。
このときはね、
若一さん、強かったんですよね。>>早い出世でしたから、
そのままとんとんといくんかなと
みんな思いましたけど、後半、苦
労しましたね。
それから横綱になってから勝率が5割ですから、
横綱としては一番最弱と言わざる
をえないんですけども、しかし一
方でね、負け続けても、
小ざかしい相撲をしない、ずるい相撲をしないっていうね、
まっすぐな一生懸命さがいつも見
て取れる横綱だったと思うんです
ね。
だから、
歴史上最弱の横綱とはいわれます
けれども、
あまり悪印象を持ってる人は少な
いんじゃないかと思います。
本当に逆に、よくここまで頑張っ
たなと、お疲れさまと言ってあげ
たいですね。
>>一番大きかったのは、けがか
もしれないんですが、こちらです
ね。
2017年、横綱として初めて春
場所で優勝するも、この胸の部分
ですね、けがされました。
8場所連続休場、
そして連敗、
勝率も5割7厘、そして36勝という、
ワースト1という記録なんですけ
ども、赤星さん、引き際っていう
のは、どういうものなんですかね。
>>本当に、
特にお相撲の世界で横綱というの
は、
もうやっぱり本当にタイミングっ
てすごく難しいと思うんですね。
やっぱり胸のけがっていうのは、
ある意味、
筋断裂、
筋肉を断裂してしまったってなると、やっぱりなかなかこう、筋肉
って復活しない部位でもあるので、
たぶん稽古をすごくされる方なので、稽古中もなかなか自分の中で
ずっと葛藤もあったし、
休場してる最中もずっと、どのタイミングなんだろう、引き際って
考えながら、たぶんやられてたと
思うんですよね。
そういう意味で言うと、本当に苦
労された中、悔しい思いで引退を
されたと思うんですけども、でも
僕は本当に、
僕も相撲、好きなんで、このモン
ゴル人力士たちがすごく活躍して
いる中で、
本当にレベルの高い時期に、
こうやって横綱になられて、
すごく苦労した部分というのは多いと思うんですけど、でも本当に
これからがたぶん、
稀勢の里関の大事な役割がまだ残っていると思いますので、ぜひ親
方になってね、
若い力士たちを育ててほしいなと思いますよね。
>>後進の指導にも当たりたいと
会見でもおっしゃっていましたけ
れども、山川さん、いかがでしょ
うか。
>>若いときはものすごいスピー
ドで出世をして、
そのあとスロー昇進ということに