2019/01/16(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都『二條陣屋』へ】[字]


突然変わるんですけれども、
ちょうどその節目にあったのが、
師匠である恩師の横綱・隆の里が亡くなったということなんですね。
たかのさとといえば千代の富士を
最も苦手にしていた力士の一人と
いうことで、テレビご覧の皆さん
もあっというふうに思い出される
と思うんですけれども、
非常にこの親方との足跡が似てるんですよね。
こうやって見ると、親方がやはり
30歳という遅い横綱昇進になっ
たのも同じですし、それから在位
もまあ2年ほどということで、非
常に短かったんですけども、最後
の最後、
なんとか親方が務めた年齢まで超
えたい、
それから在位数も上回りたい、
いろんな思いがあったと思うんですけども、
結局この偉大な横綱を超えること


ができないまま、
引退ということになった、
そのあたりもいろんな思い、
万感の思いがあってのきょうを迎
えたということなんじゃないかな
と思いますね。

>>若一さんからもありましたけ
れども、やっぱりこれからも期待
したい部分もありますからね。
本当にお疲れさまでした。
では続いて、あす、阪神・淡路大
震災から24年を迎えます。
復興のその先へ。
>>阪神・淡路大震災で工場を失
った中小企業を支えようと建設さ
れた、国内最大の公営の賃貸工場
が運営開始から20年を迎えまし
た。
今では最先端のベンチャー企業なども入居し、
多彩なものづくりの拠点に移り変
わっています。
>>響き渡る機械の音。
夜になっても、
明かりが消えることはありません。
作っているのは、
神戸の代表的な地場産業、ケミカ
ルシューズにゴム製品、
プラスチック製品などさまざまで
す。
ここは、

神戸市兵庫区にある、神戸市ものづくり工場。
国内最大の公営の賃貸工場には、
106社が入居しています。
工業用のゴム製品を製造している
くりやまプレス工業所には24年
前の阪神・淡路大震災で工場を失
い、ここに入居しました。
>>これは?
>>これはね、車のドアのパッキンです。
これがドアのボディのほうにかた
んと当たってね、クッションにな
る。
>>もともと工場があったのは、
神戸市長田区。
零細企業が集まり、
活気にあふれていた町は、炎に包
まれました。
>>ここも工場街だったんで、ほ
とんど潰れて、一番奥ぐらいだけ
ですかね、
なんか半壊ぐらいだったらしいんですけど。
ここがまあ、もともとの私のとこ
ろのあれやって。
>>どんな状況でしたか?
>>もう、2階が1階になって、
物がもうほとんど飛び出たまんま、
こっち飛び出てたんだよね、
道路に。
>>栗山さんが入居していた工場
は全壊。

創業当時から愛用してきた機械は、
ほとんど取り出すことができず、
数日後に降った雨の影響で、
修理もできなくなりました。
>>これ、
どうしようかなっていうのがもう、
まず感じたことなんですけど。
>>甚大な被害を受けた神戸市内
の中小企業。
特にケミカルシューズ関連の企業
は、
およそ8割が全半壊などの被害を
受けました。
その中小企業を受け入れるために、
神戸市が建設したのが、ものづくり工場でした。
最初の棟が完成したのは、震災か
ら3年後。
当時は、
復興支援工場と呼ばれ、
100を超える企業が入居しまし