2019/01/16(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都『二條陣屋』へ】[字]
た。
>>ここに来たとき、
本当に、ああ、よかったなと思った。
一番やっぱり仕事をなんとか続け
たいなっていう気持ちの人が多い
かったですから。
もうほとんど12時、1時ぐらい
までここ、みんな電気ついてまし
たもん。
>>当時、
工場の建設に携わった元神戸市職員の三谷陽三さん。
神戸の経済を支えてきた中小企業
の支援は急務のため、
103億円という巨額の費用を投
じることに、
迷いはありませんでした。
>>企業としてやっぱり成り立っていくというのは、
仮設工場ではなくて、
この今のものづくり工場やったと思ってますんで。
きちんと商売できる、お客さんも、
この工場やったらって安心できる。
もう今いるんやと。
>>工場に入居した企業と企業の間に、新たなつながりが生まれ、
つらい時間を共有できたことは、
精神的な支えになったといいます。
>>ここに入居して、
これからどうやっていきたい?とかね、
それにつられて仕事の話で、ああ、
こういうものを作ってもらいたいって言ってる人、
いるんやけど紹介しましょうかと
か、してもらったりとか、
いろいろやりました。
>>お互い助け合った部分は大きいんですか?
>>大きいですね。
ちょっと悩み事も聞いていただいたりね、
相談もさせてもらったりしてたん
で。
>>ところが、
復興支援工場のその後は、
順風満帆というわけにはいきませ
んでした。
金型の設計、
製作を行うふじもりさんは、
作る製作の種類を変え、なんとか
不況の波に対応しました。
その一方、
知り合いの企業が減っていく状況も目にしてきました。
>>一時は忙しかったですけど、
1年たってからどんどんどんどん
仕事がなくなり、海外のほうに流
れていったんで、
そのぶん、
どんどんどんどん仕事がなくなっていく一方でしたね。
>>不況が続き、
高齢化も進む中で、
入居していた企業のうち67社が、
休廃業や自己破産するなどしました。
また、賃料滞納は、
一時1億3000万円以上に上り、強制退去となった企業も少なくあ
りませんでした。
そこで神戸市は、
工場の役割を見直し、
被災した神戸市内の中小企業に限っていた条件を、徐々に緩和しま
した。
2004年には、
被災していない中小企業に門戸を
開放。
その2年後には神戸市外の中小企
業も入れるようにし、
さらに2009年には大企業も対
象としました。
その結果、61%ほどに落ち込ん
でいた入居率は、
現在の92%まで回復しました。
名称も、
要件の緩和に応じて、
ものづくり復興工場から、
ものづくり工場へと変更。
復興支援の場から、
ものづくりへの拠点へと、
工場の在り方を捉え直したのです。その変化を象徴するのが、新しい
分野の企業です。
1年半前に入居した大阪大学初のベンチャー企業は、
電子機器の熱を逃す特殊なロータ
ス金属を開発。
従来の冷却装置より性能が高く、
コンパクトなため、
すでに家電製品などへの採用が決
まっています。
>>われわれやはりベンチャーで
すので、例えば、加工なんかの試
作っていうのは、自分たちがやる
よりも、
ここに得意な企業さん、いっぱい
入居されていますので、
そういった所と連携をしていくこ
とで、よりいいものが出来ていく
のかなということは期待していま
す。
>>さらに、災害を意識したもの