2019/01/16(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都『二條陣屋』へ】[字]


に、ひまわりの花が咲きました。
そのひまわりははるかのひまわり
と名付けられ、種が各地に広がり、
天皇陛下にも贈られました。
陛下は御所の庭で今も大切に育てられています。
そしてきょう、
皇居で平成最後の歌会始の儀が行われ、
陛下はひまわりを歌に詠まれまし
た。
贈られしひまわりの種は生えそろ
い葉を広げゆく初夏の光に。
陛下が歌でひまわりのことを詠ま
れたことについて、はるかさんの
お姉さんがコメントしました。
>>あの阪神・淡路大震災から24年。
中学生だった私は1児の母になり
ました。
はるかのひまわりの種と絵本を、
天皇皇后両陛下にお渡ししてから、
14年の月日がたちました。


お受け取りいただいてから毎年、
御所のお庭ではるかのひまわりを
お育てくださってることに感謝を
します。
ことしの歌会始で、
天皇陛下にはるかのひまわりをお
歌に入れていただき、
24年前の阪神・淡路大震災を忘
れないでくださって、寄り添って
いただいているお心に触れ、改め
て命の大切さを伝えるとともに、
はるかのひまわりをたくさんの方

に手渡していきたいと思います。
昨年生まれた娘に、ちゃんと震災
のこと、はるかのこと、
そしてひまわりのことを伝え、
いつの日か一緒に皇居にひまわりを見に行きたいと思います。
>>私は、
阪神・淡路大震災の年に生まれました。
小学4年生のときに新潟中越地震、
東日本大震災は高校1年生のときでした。
そして熊本地震が大学4回生、社
会人になってから、大阪北部地震、
そして北海道の地震もありました。
学生時代の思い出と同時に、震災
の記憶が私にも刻まれています。
平成最後の歌会始で陛下がひまわりに思いをはせられたのは、
これだけ災害の多かった時代に、
陛下の国民への思いというのが込められていたように感じます。
>>中継でお伝えしました。

続いてヤマカワ目線です。
今、
岩原さんからの中継にもありましたけれども、
本当に平成、
災害の多い30年でしたね。
>>まさに平成最後の、この歌会
始で、
阪神・淡路大震災のことをお詠み
になられたということなんですね。
やっぱり一つ一つの亡くなった命、
それから犠牲が今の私たちの防災体制の礎になっているということ
は忘れてはならないと思うんです
ね。
それがきょうの解説です。
すべてはやはり阪神・淡路大震災
から始まった。これは巨大地震の
時代の幕開けだったわけですけれ
ども、
初めての震度7を観測したのが、阪神・淡路大震災。
戦後まもなくして、
気象庁が震度7という、
この基準を設けたんですけれども、
昭和の時代には震度7は観測されず、
平成に入ってから初めてこの阪神
・淡路大震災が震度7ということ
になったんですね。
しかし、
中谷さんがおっしゃったように、
この平成をずっと振り返ってみる
と、

震度7の地震というのは実は立て続けに起きているわけなんですね。
見ていくと、
阪神・淡路大震災から新潟の中越地震、東日本大震災、
熊本地震では2回震度7、記録し
ました。
北海道の胆振東部地震、
ここで死者・行方不明者の数、
これをすべて足し合わせると3万
人に迫ろうというくらいの方々が
亡くなられたということ、この地
震が起こるたびに防災体制ってい
うのは見直しを行われて、いろん
なことが新しく、
私たちの身を守るための仕組みが
出来上がってきたのが、
この平成ということなんですね。
大きく変化があった3つのポイントというのを挙げてみました。
まず1つ目ですけれども、
仕組みですね。
じゃあ阪神・淡路大震災をきっか