2019/01/20(日) 07:00〜07:30 ボクらの時代[字]


芸人っていうのはなかった。
だから 華丸さんの時代は
うらやましいんですよ。
そういう選択肢があって。

じゃあ 友達と。一番 仲いいやつと。
だから 文化祭で 漫才みたいなの
やってましたからね。
えっ!?
松重さんは 分かりますけど。
松重さん あれですよ。


映画監督。
もとは?
福岡出身の映画監督石井 岳龍監督。
その方が 要するに それこそ→
うちの高校の先輩の陣内さんとか ロッカーズとか→
ルースターズとか そういう
ミュージシャンを使って→
映画を撮って。 博多で 映画で→
なおかつ パンクロックでロックでとかっていうのが→
カッコイイっていう。
福岡から こういう発信のしかたがあるっちゃねっていう→
先鞭をつけてくれたのが
石井 聰亙監督だったんですよ。
それで 憧れて
俺は 映画監督やねって言って→
こっちに出てきて そしたら
なぜか 知らないですけど→
周りが演劇人ばっかりで→
演劇か。演劇も面白かろねって言って→
それから だんだん
役者の方に シフトしていって。
だから 出発点は 福岡です。
福岡を世に出したいってことですよね?
だから 博多弁で
何かやるとかっていうのは→
それこそ ホントに 全国区に
していただいたおかげで→
『バイプレイヤーズ』とかでも
僕と 光石さんが→
博多弁でしゃべっているのを

遠藤さんがまねして→
「ニセモンが!」っていう 小ネタもちりばめられるぐらいに。
吉田 羊さん入ってきてもっと 博多弁になってね。
板谷さんも。
あのときは 福岡県民 もうスタンディングでしょ 茶の間で。
こたつ 1回 はぐってから
こうやって 拍手。
「はぐってから…」
「はぐってから」って久しぶりに。
はぐってね。 はぐってから。
でも 光石さんは→
『博多っ子純情』で
デビューされましたけど→
もともと それこそ 役者?
いやいや。 たまたまです。
友達に誘われて。
だいたい 福岡の街で→
オーディションやった
っていう情報は すごかったです。
高校卒業して とある大学に
ちょっと入って→
でも すぐ辞めて。
東京で?東京で。
一応 松竹デビューだったから→
そのときの寅さんに出してくれたの。
『男はつらいよ』出てるんですか?
ホントに 夢のシーンとかタイトルバックとか。
えっ!?
それ ちょっと出たの。
えっ!?

出るだけでも すごい。
そしたら その当時の→
『博多っ子純情』のスタッフがそれ 見とって→
「東京 出てきとう」ってなって
捜し始めた 俺のことを。
「遊び来い」って 行ったら→
その当時のスタッフがおってくれて→
「今度 俺たちがやる
青春もんのドラマがあるから→
そこに入れてやる」って。
とんとん拍子ですよ。
ホントに。
でも 光石さんってね→
人望が厚いし
スタッフに愛されるんですよ。
今でも もう。
飲み会の場でも→
とにかく スタッフの女の子の
輪の中に入るっていうのが。
女子スタッフ受けが すごいのは
「近くじゃない」
「おいしいパン屋 教えてあげる」
って言って。
えっ!?
「おいしいパンマップ」とか手書きで バーッと書いて→
「ここの何とかは 絶品」
みたいなのを。
どこが 『博多っ子純情』ですか!?
女子のスタッフが もう「光石さん キュン」って。
横で メークしながら