2019/01/29(火) 23:55〜00:40 ブラタモリ「#121 東京・豊洲」[解][字][再]
(志村)いい場所です。 ほんとに いい場所。
はい こちらです。
あっ。面影を残す所ですね。
(志村)
ロープを結わえつけるくいが ある。→
あと ゴムがありますね クッションが。
クッション。
(志村)このような船着き場に…
残ってるんですね これね。はい。
戦後 焼け野原だった時に どんどん船が。
うん。 ここへ着いたんだよね。
実は ここに運び込まれた物が→
東京サポーターに深く関わっているんです。
どんな物を運んできたんだろう。
建築 まず…
ではですね 当時の豊洲に詳しい方に
お越し頂こうと思いますので。 はい。
では こちらに また。
(タモリ 林田)はい。
おっ もうスタンバってらっしゃいますね。
(一同)よろしくお願いします。
豊洲の成り立ちや歴史に詳しい
専門家です。
大きな ちょっと道具があるんです。
おお 大きいですね。
よいしょ。
(タモリ 林田)おお~。
すごいですよね。
ちょっと お人形さんが出てきました。そこですか。
ちょうど ここに おられます。 はい。→
当時 豊洲で一番目立つのがやっぱり こちら。 造船所。
造船所があったんですか。
造船所。
これはね…
そのとおりです。そうなんですか。
うん。 造船所ありましたね これ。
これが最初の民間の。 今でいう IHIです。(岩成)そうですね はい。
IHIですか。
石川島播磨 合併して。
船が いっぱい寄っているんですが→
この船の ちょっと積み荷をタモリさん 見て頂きたいんですが→
何 積んでると思いますか?
何ですか? これ。
(岩成)黒い物ですね。
黒い物ですね。
(岩成)豊洲に一番最初に この場所に
何ができたかと申しますとですね→
まず こういうものができました。
昭和25年に…。石炭置き場。
(岩成)石炭埠頭といってましてですね
いわゆる石炭の置き場です。
…が つくられます。
火力の元となる石炭は最も重要な資源でした。
最盛期の豊洲には→
年間164万トンの石炭が集められていました。
まず…
石炭 いろいろ使うんですが。最初に石炭なんですね。
(岩成)はい。 正解です。
石炭を使うですね石炭火力発電所が出てまいります。
へえ~。
ほお~。
ってことは あっちに行くと
火力発電所が。そこですね。
(岩成)
はい。 あの辺りになると思って頂ければ。あれが 石炭火力発電所だ。
(志村)こういう発電所をですね…
昭和30年から送電を開始した 火力発電所。
なんとここで
東京都心16万世帯分の→
消費電力を発電していたんです。
でも 豊洲にやってきた東京サポーターはこれだけじゃないんです。
ところが まだ こんだけ空いてます。
空き地がいっぱいあります。
すばらしい。
石炭 ガス。昔は石炭ガスっていいましたよね。
それを使ってたんですよ。
そうなんですか。
あ そうなんですね。
ガスをとったあとの石炭。あとの これはね もう熱量がすごいの。
だから 熱量が要る
まあ 昔ですけども…
石炭置き場 発電所に ガス工場→
そして 復興に必要な建築資材となる鉄製品の倉庫まで誕生。
東京サポーターが集結した豊洲の埠頭は
エネルギー基地と呼ばれ→
復興の要となったんです。
ああ こんなだったんですか。はい。
ここから戦後の復興が始まるわけですね。
(志村)まさに。
さあ いろんな材料もある
コークスもある。
そうですね。
これ ためといても しょうがないんで。
そこでどうなるかっていう
問題なんです。
はい。
そうすると 当時としては手っ取り早いのは…
(岩成)はい そのとおりです。
鉄道ですか。
鉄道ですね。