2019/02/09(土) 19:30〜20:15 ブラタモリ「#125 武蔵小杉」[解][字]


随分 広い敷地だったんですねぇ。
ここは 徳川家康と 2代将軍 秀忠が
よく利用したと言われています。
ということは これ…
(望月)そうですね。
(望月)そういうことですね。
そんな大きなものね。
(笑い声)

小杉が。
…とか言ってたんだろうね。
(笑い声)
まあ よく言われてるのは 将軍家…
あぁ~。 この辺に鷹狩りに来てたのか。
(望月)この辺へ 鷹狩りを…
来てですね 楽しんでた。
江戸時代 徳川将軍家の御殿がつくられた
この場所は→
その後 中原街道の宿場として栄えました。
さっき タモリさんが見ていた80年前の地図でも→
御殿があった周辺は 町を表す「赤」一色。


昭和に入っても ここが町の中心だったことが分かります。
江戸時代から昭和まで
町の中心がここにあったこと→
実は これこそが 今の武蔵小杉の発展に
結び付いていたんです。
ここが中心であったので
先ほど見た…
(望月)外れの外れ。
(笑い声)
でも そもそも御殿の場所って
中原街道沿いだったら→
どこにつくってもいいような
気がしません?
なぜ この場所が選ばれたんでしょう?
その理由を探るため古地図に描かれた道を進んでみましょう!
この屋根も変わってますね。
カーブが。初めて見た このカーブは。
ここまで来ますと
今 この地図の ちょうど…→
また角に当たった
ということになりますので→
このまま道沿いに 右の方へ
曲がっていきたいなと思います。
お寺 大きいですね。
お寺 大きいんです ここは。
割と奥行きも 墓地があって。
あっ 豪華ですね。
あっ アハハハハ!
そこは是非 仲良くしてもらって。
そこの道が ここになるんですね。

そうですね ここに出てくる…。こうなって→
こっち側 なかったんですね。
はい。
道的には 左の方へ進む
という形になります。
こっちだったんですね。
ん? これ なかった…。
お気付きになりましたでしょうか。
はい。
はい。
あ~ そこですか。
いかがでしょうか?
古地図の先でタモリさんが見つけたのは…
思ったより高いんではないかなと
思います。
じゃ こういう…
…っていうと どういったものが考えられますかね?何だ?
そのとおりですね。
実は この地図はですね→
上の部分がありまして。
え?
こういう形に 実は 絵図があるんです。
あぁ~。
「玉川」。
この ちょっと落ち込んでいる部分実は 多摩川が流れていた跡なんです。
かつて多摩川は 小杉御殿のすぐそばを
流れていたんです。
ここに 太い黒い墨線が
入っているんですけども…
あ~ 自然堤防!

実は この自然堤防というのは→
今 渡ってきた道 この部分がですね→
ちょうど この自然堤防の位置という形になるんですけども。
ほぉ~。 あぁ そうですか。
うん。そうですね まさに…
小杉御殿がここにできた
一つの理由には…
えっ でも…
今は 随分向こうの方に流れていますけども。
ここは 先ほどの中原街道。
小杉御殿がございまして…。
ここで望月さんが取り出したのは→
この辺りの高低差を表す地形図です。
あ~ この濃い青の所が低くなってる…。
低くなってる所なんです。
だから こう流れてたんだ
昔はね。 ある時期。
ある時期は そういう形で流れていた
っていうことですね。
そうですね。