2019/02/09(土) 19:30〜20:15 ブラタモリ「#125 武蔵小杉」[解][字]
今は まっすぐ流れている多摩川ですが→
かつては このように蛇行していました。
御殿を守る役目を果たしていたんです。
多摩川の流れも 江戸時代→
ここが中心になるための大切な要素の一つだったんですね。
ちなみに
多摩川 よく流れを変えるので→
この地域では
ちょっと面白いことが起きているんです。
(望月)タモリさん…
いや 知りません。
林田さんは
この競技場の名前 知ってます?
確か…
あ 等々力競技場。そうです 等々力競技場っていいます。
ちょっと こちらの看板も見て頂いても…。
あ 「等々力緑地」って書いてありますね。
あっ 自由が丘とかの辺りの。
ええ。
ちょっと こちらをご覧頂いて。
多摩川沿いを 地図を見たりすると→
比較的…
そうなんです。
多摩川を挟んで
東京にも神奈川にも→
同じ地名の場所が
あるんです。
皆さん どうしてだか
分かります?
今 私たちがいるのは この
「等々力」っていう所なんですけども。
で こっちも「等々力」。
今 タモリさんがおっしゃった→
世田谷の等々力っていうのは
こちらにあるんです。だから→
こう流れてたんで
一緒なんだよ。
今 分断されてるけど
ここ流れてたの。
これも こう流れてたんでしょう。
そうですよね。
で 瀬田も こう流れてたんでしょう。
説明しましょう!
もともと多摩川は
このように蛇行していました。
しかし 氾濫などにより流れを変えます。
すると 1つの町は分断され対岸に飛び地が生まれます。
多摩川は その後 明治に入り→
東京と神奈川の県境になりました。
その結果 川を挟んで→
同じ名前の違う町が誕生したんです。
これ もともと
「野毛」だったんでしょうけどね→
分かれたあとに「下野毛」。
下野毛が先で…。あっ 下野毛が先か。
後に 世田谷の方が「野毛」っていう町名に
変わってしまってるっていう形ですね。
昔 学生の時に
ここを歩いたことがあって…
…っつうのがあって。
(笑い声)
いろいろ想像して。
「ちょっとモヒカンにして下さい」とか…。(笑い声)
「ソバージュがいい」とか…
あっ もともとソバージュだ。
(笑い声)
比較的…
林田さん
お分かり頂けましたでしょうかね?
こうした多摩川なんですけども
実は…
あぁ そうですか。
実は 多摩川 今の武蔵小杉の町にも深い関係があるんです。
そのカギを握るのは なんと…
江戸時代 家康がこの川を利用してつくった→
「あるもの」が
今の町でも見られるんです。
ということで タモリさん→
再び タワーマンションの足元へ戻ってきました。
家康が多摩川を利用してつくったものとは
何なのか?
その痕跡を探してみましょう!
そうですよね 水が見当たらない。
ん?
ちょっと変わってますよね。変わってますね。
果たして
この路地の正体 何なんでしょう?
こちらの 目の前のお宅に
聞いてみることに。
どこから入ればいい…。
確かに。
そこは…。
ますます出てきましたね。ますます高くなってきましたかね。
こっち行ってみましょうか。
じゃ こっち行ってみますか。
このビルは違います。
えっ!?
あれ?
この裏ですよ。
あれ?