2019/02/10(日) 13:50〜15:00 あの日 あのとき あの番組「シリーズ平成 無縁社会 いま そして 未来」[字]


やっぱり思い知らされちゃいましたよね。
まあ かつては 独居老人→
つまり 独りで暮らすことに対する不安ということが→
よくいわれましたけれども
独りで死ぬことの不安。
独りの人はね みんな 決して→
背を向けていたわけじゃないんですよね。
最初 あったんですよ 絶対に
つながりがね。
何かね 今までの こう→



つながりながら生きてきたその人の人生がね→
最後の最後に それを失ってしまったら
もう否定されちゃうような→
まさにね 名前を失ってしまうような
死に方になってしまう。
この人生の閉じ方っていうのは→
やっぱり重いなと思いました。
亡くなった時に名前が分からなかった
小林さんもね→
最初に就職した会社が倒産しなかったら
全然 別の人生があった。
普通の人生があったんですよね。
で 番組の中でね→
「歯車が一つ違えば 一歩 間違えば」
っていう表現が…。
これ 本当に その一歩っていうのが
当たり前の一歩なんですよ。
だから 決してね
特別な一人だったわけじゃなくて→
普通のおじさんが離婚しちゃって
職を失ってとかね。
何か 日常と背中合わせになっている→
孤独 無縁っていうものがあるんだなっていうのを感じました。
その意味では
9年前に この番組を放送した時に→
ネット上に
3万件ぐらいの書き込みがあった。
大変な反響があったんですけれども
その多くが→
30代 40代という方々で→

「将来の自分だ」とか「心が折れる」→
というような書き込みが
多かったわけですね。
まさにね 正規雇用で就職できない→
終身雇用してもらえないっていうね→
何か その苦しさ その不安感
っていうものが→
ず~っと今 若い人たちの中に
広がってしまって→
なおかつね 貧困の問題→
若い世代の貧困の問題っていうのは→
そのまま 無縁社会に
直結しちゃうと思うので→
万が一の時のセーフティーネット
っていうのが→
みんなはね
会社に入っていて当然だとか→
結婚して 子どもがいて当然だ
っていうような→
何か古いタイプの社会の形→
それを前提にして作られているセーフティーネットだから→
独りの人が落っこちちゃった時に
それを救ってもらえない。
そんな感じがしました。
そこはね 社会のシステムとしても→
少し発想を変えていかないと
いけないんじゃないかなと思います。
例えば 平成の次の時代に 何かその
新しい縁というものがあるとしたら…。
昨年ね インターネットを通じて→

Me Tooっていう動きっていいますかね→
連帯の表明ですよね。
はい ありましたね。
ソーシャルネットワークっていうのは
これは あくまでもね→
インターネット空間のものなんだけれども
そこで つながった人たちが→
どうやって
リアルな肉体を介しての縁を→
持っていけるかっていうのに
関わってくるんじゃないか。
それこそね
孤独死を防ぐっていいますか→
アクセスがなかったら
すぐに家まで行ってみる→
というようなシステムとかね。 だから→
独りで亡くなったことが悲しいんじゃなくて→
亡くなったあと1週間も→
見つからなかったってことの方が本当は悲しいわけで。
それを思うと シェアハウスとかね…
シェアハウスなんていうのも→
結構 今はね 若い人たちの世界だと
思われがちなんですけども→
やっぱり 年配の人の集まる
シェアハウスっていうのも…。
そうですね 現実に同じ世代の人たちが→
一つのマンションの別の部屋に住みながら支え合う→
というようなケースも
紹介されていますしね。
だから 支え合うっていうのは→