2019/02/13(水) 00:40〜01:30 NHKスペシャル 平成史スクープドキュメント第4回「安室奈美恵 最後の告白」[字][再]


タッグを組んだ安室と小室は すぐにドラマの主題歌となる2曲目を発表し→
100万枚を超える大ヒットを達成。

♪♪~
更に 19歳の安室の素顔を歌った
この曲は→
同世代の若者たちの
大きな共感を呼んだ。
♪♪~
このアルバムは当時の最多記録を更新。
安室は 19歳の若さで
トップスターに駆け上がっていった。
(拍手と歓声)
今回 話を伺った私は安室さんと同世代。
安室人気が急上昇した頃
まだ 親元で暮らす大学生でした。
ロックに夢中で
ドラムをたたいていた私は→
日本の歌手に
あまり関心がなかったのですが→
テレビや雑誌で 安室さんを


目にしない日はありませんでした。
19の若さで トップスターになった時→
安室さんはどんな気持ちだったのでしょうか。
当時 街を歩けば 安室さんをまねた→
いわゆるアムラーであふれていたことを覚えています。
厚底のブーツに
細い眉毛のファッション。
靴を買いに行けば 店には厚底ばかり。
まさに安室一色でした。
特に安室さんのファンではなかった私は→
この熱狂も すぐに終わると正直 思っていました。
でも その後の安室さんの生き方は→
同じ平成を生きる女性に大きな影響を与えることになります。
そして 私も 安室さんに
ひかれていくことになるのです。
平成元年。
♪♪「ああ 川の流れのように」
この年 昭和歌謡の女王と呼ばれた
美空ひばりが亡くなった。
それは 昭和の音楽が幕を閉じ→
平成の音楽が始まることを告げる象徴的な出来事でもあった。
安室とのタッグで 平成の音楽シーンを
席けんする小室哲哉は→
同じ平成元年 ロンドンにいた。
小室さんが作った 安室さんの歌は→
なぜ あれほど
大ヒットを続けたのでしょうか。
私は その秘密を探るため
ロンドンに ある人物を訪ねました。
ピート・ハモンドさん。

1980年代数々の世界的ヒット曲を作った→
サウンドエンジニアです。
ピートさんは当時音楽制作集団 PWLの一員でした。
そこへ ある日 突然
小室さんが訪ねてきたといいます。
当時 ここにあった音楽スタジオは→
ヒット曲製造工場と呼ばれていたそうです。
レーシングカーやミサイルを飾った
遊び心あふれる空間。
壁には ミリオンセラーの証明
ゴールドディスクが ずらり。
♪♪~
ここで生まれたダンスミュージックは→
世界28か国で
大ヒットを飛ばしていました。
小室さんは ピートさんたちが
次々と世界的ヒットを飛ばす秘密を→
熱心に探っていたといいます。
そして 発見したのは→
ピートさんたちが シンセサイザーで
ダンスの新しいリズムを開発しては→
出来た曲を ディスコで試すやり方。
若者たちの反応を見ては曲を作り替え→
ノレるリズムの曲を
次々と生み出していたのです。
♪♪~
市場調査を徹底してノレるリズムを追求する。
これこそ 大ヒットの鍵だと
小室さんは確信します。
日本に帰国した小室さんは→

すぐに シンセサイザーで新しいリズムの開発に没頭。
そして 全国各地のディスコで
自らDJをして→
制作中の曲を流しました。
♪♪~
どうしたら みんなで踊れ
みんなで歌えるか。
一番盛り上がる手法を選び抜いて→
安室さんの大ヒットを生み出していったのです。
♪♪~
バブル時代の浮かれた空気が残る平成初めの10年間。
音楽界は 技術革新の波に乗り
急成長していった。
昭和の終わりに登場したCDは→
音質のよさと扱いやすさを売りに→
僅か4年で レコードと
テープを上回る。
爆発的に
音楽の売り上げを伸ばしていった。
♪♪「タッタタラリラ