2019/02/25(月) 00:00〜00:45 地球ドラマチック「古代エジプト 王女の墓の謎」[二][字][再]


徐々に見えてきました。
王家の一員である 40歳前後の女性。
今から およそ 3,500年前新王国時代の初期に埋葬されました。
しかし墓は その後
何者かによって荒らされました。
亡骸が
ひどい扱いを受けた理由については→
古代の裁判記録が

ヒントを与えてくれます。
では 500年ほどあとに葬られた→
2つ目の亡骸は どうでしょう?
墓荒らしの裁判記録が書かれたのは→
新王国時代の終わり→
ファラオの権力が弱まった時期です。
それは 混乱の時代の始まりでした。
内乱が続いた時期です。
飢きんにも見舞われたらしくある文書には→
「ハイエナの年」
という表現が見られます。→
輝かしい新王国時代は


終わろうとしていました。
法と秩序が弱まり
やがて革命が起こりました。
革命がもたらしたのは
争いや犯罪ばかりではありませんでした。
王家の谷も 時代の変化に さらされます。
激動する情勢の中で KV64の墓に2つ目の亡骸が運ばれたのです。
2011年に王家の谷で見つかった
KV64の墓は→
幾重ものミステリーに包まれています。
調査チームは 古代エジプトの混乱期に焦点を定めました。
革命が起こり
王家の谷が新しい局面を迎えた時期です。
KV64は 法と秩序が弱まった この時期に
荒らされました。
その事実は 墓の中に なぜ1人ではなく
2人のミイラがあったのかという→
謎の解明につながります。
紀元前11世紀。
新王国時代のファラオたちが築いた
ばく大な富は 底をつきかけていました。
権力闘争が起こり 新たな勢力が
ファラオに挑みかかります。
古代エジプトの神々の頂点→
太陽神アメンの大司祭が率いる神官たちです。
ついに ファラオの一族は
ルクソールの都を捨て→
600キロ北の都市 タニスへ逃れました。
古代エジプトの権力は2つに分裂しました。
ファラオは タニスを拠点として

国の北部を治めましたが→
南部では アメン大司祭などの神官が
支配者となりました。
ファラオたちが
ルクソールを去った途端に→
王家の谷は
王家の墓地ではなくなりました。
墓は 次々と荒らされていきました。
(サリーマ・イクラム)墓荒らしは 古代エジプトの歴史において 絶えず行われましたが→
特に ひどかったのは この時代です。
法と秩序が機能しなかったからです。
墓荒らしの犠牲となった1人が
KV64の王家の女性です。
王女の墓は 埋葬から400年後に
盗賊の手で荒らされました。
もう1つの亡骸は
その100年後に葬られます。
王家の谷は 新王国時代が終わると
使われなくなったと考えられていました。
しかし KV64の発見により
見方が覆りました。
王家の谷は ファラオを追い落とした
新しい支配者たちを迎え入れたのです。
KV64には 最初の埋葬から500年後
2つ目の ひつぎが葬られ封印されました。
この ひつぎを見た瞬間 浮かんだのは→
これは 第18王朝の時代の ひつぎなのか?という疑問でした。
2018年 2つ目の ひつぎは→
ルクソール博物館で展示されることになりました。
ひつぎの形式は KV64の墓が造られた

年代よりも 500年ほど あとのものです。
ひつぎの装飾が目を引きます。
この模様を施した人の息吹が伝わってくるようです。
一部
消えかけているところもありますが→
とてもエネルギッシュなタッチで
手早く仕上げたんでしょう。
ひつぎの装飾は 精巧なだけでなく
葬られた人物の情報も伝えています。
亡骸の名前が刻まれています。
「ネヘメスバステト」。父親の名前もあります。
ひつぎには ネヘメスバステトが
位の高い神官の娘で→
生前 「アメン神の歌い手」という
称号を持っていたことが記されています。
ミイラは完璧に保存され
ひつぎに横たわっています。
体の表面には 黒く固い樹脂が
覆いのように塗られています。
ひつぎの中を見た時