2019/03/06(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊“和歌の浦”で3つの神社の魅力に迫る】[字]
すけど。
カメラがあったんで撮るしかない
っていう思いだけですね。
>>震災から8年。
がれきは撤去され、
高台から見る景色は、
以前の町に戻りつつあるように見えます。
しかし、
多くの人の生活が失われたという事実は消えません。
>>ちょうどこの辺りの土地だっ
たと思います。
なんの痕跡もないですね。
もう、
生まれ育った家の場所が、
正確に言えないっていうのもちょっとあれですね、
寂しいですけどね。
>>柳田さんが生まれ育った実家は流されました。
母親も津波で亡くしました。
当時を振り返ると、
沿岸部に住んでいながら、
防災に関する知識が十分でなかったのではないかと、
自問自答することがあるといいま
す。
>>自分の家で防災について話し
たことがないっていうのが反省点
ですかね。
2月か、
3月かな、
だから、
津波避難訓練を参加してたんです。
それで避難しなかったっていうの
が、要は、
避難訓練というのは、
単なるイベントになってたのかな
とは思いますけどね。
もうちょっと、こういうときは逃
げようと、
どこどこに逃げようとか、
ある程度話していれば変わったのかなと思いますけどね。
>>受け継がれてきた教訓が多く
の命を救った事例もここ、釜石に
はあります。
こんにちは。
菊池のどかさんですか?
>>そうです。よろしくお願いし
ます。
>>菊池のどかさん23歳。
震災発生当時は中学3年生でした。
>>もう一斉に体育館とか。
>>彼女が通っていた釜石東中学
校は、当時の浸水想定区域の外で
したが、
実際の津波は校舎の3階まで達しました。
地震が発生し、
想定をはるかに超えた津波が迫る中、
下校しようとしていたのどかさん。
すぐに行動を起こします。
>>鵜住居小学校の近くにいたの
で、小学校のほうに津波が来るか
ら早く逃げようっていうことで、
なんかたぶん、実際には津波だ!とかぐらいしかしゃべれなかった
とは思うんですけど、とにかく、
小学校のほうに向かって叫んで、
一緒に避難場所にすぐに避難しま
した。
>>のどかさんを含む複数の生徒
は、先生の指示を待たずに逃げ始
めました。
その姿を見て、
隣の小学生たちも中学生たちの後
ろを追いかけ、
高台へ走り始めます。
すると近所の大人たちも、
それに続いて走り始めたのです。
余震も続く中、
2キロほど走りました。
避難場所に指定されていた介護施設にたどりついたとき。
>>ここら辺をちょうど歩いてた
ときに、
聞いたことない、なんだろう、
地震ともちょっと違う、
ごごごごごごっていうものすごい
大きい音がして、
後ろを振り向いたら、
奥に見える復興住宅の付近に、
黒い壁みたいのがばってこう、
横一列に広がっていて、
その瞬間に後ろで津波だ!
っていう声が聞こえて、これが津波なんだっていうふうにすぐに気
付いて、もうそこからは死にたく
ないと思って、もうとにかく、
上に走ってました。
>>押し寄せてきた津波を目の当たりにし、
それぞれがより高い場所を目指し
て、思い思いに走って逃げました。
こんなに高い所まで登ってきたん
ですか?
>>そうですね。
今思うとすごい高いですよね。
>>津波は釜石市の浸水予想を大