2019/03/07(木) 01:00〜01:50 NHKスペシャル「“黒い津波”知られざる実像」[字][再]


被害を拡大させた 黒い津波。
発生源となった海底は
今 どうなっているのか→
撮影することにしました。

ここは 震災前に行われた調査で水深が6mだった場所です。
現在 水深は6m。
まだ 海底は見えません。
かつて海底だった所から
更に潜っていきます。
海底に到着しました。


現在の水深は 13mです。
7mも深くなっていました。
巨大津波が大きく削り取った跡です。
海底に堆積していたのは 黒いヘドロ。
気仙沼湾全体で 推計100万トン分の海底が削り取られました。
海底の状況などを基に→
黒い津波が どう発生したのかシミュレーションします。
津波と海底地形の関係を研究する
高橋智幸教授です。
気仙沼湾を目がけて
大量に押し寄せる津波。
津波は
湾の狭くなった場所にさしかかると→
行き場を失い
通り道を広げようとします。
特に大きく削られたのが
海底だったのです。
海底が掘り下げられ
通り道が広がった結果→
より危険性を増していました。
黒い津波のシミュレーションでは湾に入る量は…
海底が掘り下げられたことで
20%も増加しました。
その影響を大きく受けたのは
鹿折地区です。
黒い津波は 市街地で
急激に水かさを増していきます。
鹿折地区の中心部に
黒い津波が到達したのは→
午後3時29分48秒。

大人の膝の高さ 50cmに達したのは午後3時30分12秒。
到達から30秒足らずで
危険な水位に達していました。
黒い津波でなかった場合の
シミュレーションでは→
同じ時刻の水位は 半分の25cmでした。
黒い津波の急激な水位上昇に見舞われた鹿折地区。
206人の住民が犠牲になりました。
僅かな時間の差が人々の生死を分けていました。
酒屋を営む 菅原文子さんです。
38年連れ添った 夫の豊和さんを目の前で亡くしました。
あの日 豊和さんは→
海から200m離れた自宅の前にいました。
自宅の2階で 津波が迫っていることに
気付いた 文子さん。
階段を駆け下りて→
玄関の外にいた豊和さんを自宅に引き上げようと→
手を伸ばしました。
豊和さんが見つかったのは自宅から100m離れた場所。
その場所に 酒屋を再建しました。
黒い津波によって 突然断ち切られた夫婦の日常。
8年の時が流れても→
豊和さんとの最後の瞬間は脳裏に焼き付いたままです。
あ~ みんなだ みんなだ。
黒い津波は 別の形でも人の命を奪っていました。
鹿折地区にある この介護施設。
59人が犠牲になりました。
看護師の千田淑子さんです。
当時 施設で利用者の避難誘導に当たっていました。
津波のあと 亡くなった人たちの体を

丁寧に拭った 千田さん。
目の当たりにしたのは
黒い津波の爪痕でした。
当時 津波で亡くなった人の9割は
溺死と判断されました。
犠牲者が多く 詳しい解剖などが
行われなかったためです。
しかし 今 検視した医師たちは→
単なる溺死ではなかった可能性を指摘し始めています。
300人以上の遺体を検視した
高木徹也教授です。
高木教授が検視を行った遺体にも→
泥や砂のついた遺体が多く見られたといいます。
初めて黒い津波の実物を見た 高木教授。
砂や泥が気管に詰まり窒息した人もいたのではないかと→
考えています。
今回 NHKは→
東日本大震災で検視を行った法医学者に
アンケートを行い→
30人から 回答を得ました。
高木教授と同様に→
「泥を飲み込んだことによる窒息などが
あったのではないか」→
という回答が 相次ぎました。
死者の増加に黒い津波が影響したと感じた人は→
8割に上りました。
黒い津波はあの日を生き延びた人たちの命も→
脅かし続けました。
津波にのみ込まれながら救助され 九死に一生を得た人たち。
津波肺という 重い肺炎にかかる人が