亡くなったことを知っていたはずです。
夫のフランチェスコは
リザの死の5年前に亡くなり→
愛する妻のために盛大な葬儀を行うよう
遺言を残しました。
リザは この聖ウルスラ修道院に
埋葬されました。
これ以上 足跡をたどることは
できませんが 多くの事実が分かりました。
ダ・ヴィンチは リザの知り合いで
間違いなく その肖像画を描いたのです。
しかし まだ解くべき謎があります。
果たして ダ・ヴィンチが描いたリザの肖像画と→
ルーヴル美術館の「モナリザ」は
同じものなのでしょうか?
ヴァザーリによれば リザのほほ笑む
肖像画は フィレンツェで描かれました。
時期は ドイツで見つかったメモによって
1503年と分かっています。
ルーヴル美術館にある「モナリザ」も
ほほ笑みを浮かべています。
しかし いくつか気になる点があります。
リザの夫・フランチェスコが「モナリザ」を所有した事実はありません。
ダ・ヴィンチが亡くなるまで
ずっと手元に置いていたからです。
更に ヴァザーリの本には リザの眉毛に
ついての記述がありますが→
ルーヴルの「モナリザ」には
眉毛がありません。
最大の問題は
晩年のダ・ヴィンチを訪ねた→
アントニオ・デ・ベアティスという
人物の記録です。
デ・ベアティスは ルーヴルの「モナリザ」を
ダ・ヴィンチから見せられ→
依頼主の名前を直接 聞いたと
書いています。
その依頼主とは パトロンの貴族
ジュリアーノ・デ・メディチでした。
もしかすると ダ・ヴィンチは
リザの肖像画を→
2枚 描いたのではないでしょうか?
商人の依頼で 最初の「モナリザ」を描き→
その後 貴族の依頼で
ルーヴルの「モナリザ」を描いた。
つまり「モナリザ」は
2枚 存在するということです。
「モナリザ」が 2枚あるとしても
不思議ではありません。
ダ・ヴィンチは よく同じ主題で
複数の絵を描いたからです。
商人の依頼で描かれた
最初の「モナリザ」とされる肖像画が→
シンガポールにあります。
所有者は匿名の実業家グループで→
絵は最先端のセキュリティーで
守られています。
本当に ダ・ヴィンチが描いた
最初の「モナリザ」なのでしょうか?
背景は少し 大ざっぱな感じですが
顔は…。
かなりの仕上がりです。
微笑が若々しい。
これが商人の依頼で描かれた
最初の「モナリザ」なのかもしれません。
そして ダ・ヴィンチは記憶をもとに
もう一枚の絵を描いた。
それが現在 ルーヴルにある
「モナリザ」というわけです。
じらすような ほほ笑み。
思わせぶりです。
この絵が最初に
世間をにぎわせたのは 1914年。
イギリス人の美術商
ヒュー・ブレイカーが買い取った→
ある個人コレクションに
含まれていました。
絵の保管場所から→
「アイルワースのモナリザ」と呼ばれています。
特に注目されたのは「モナリザ」の
あるスケッチ画に似ていた点です。
それは ダ・ヴィンチの同時代の画家
ラファエロが 1504年に模写したものです。
最初の「モナリザ」が どのように描かれて
いたのか うかがい知ることができます。
この100年間で 持ち主が何度も変わり→
絵に対する評価は賛否両論分かれたままです。
ダ・ヴィンチが 2枚の「モナリザ」を
描いたと唱える→
人文学者のジャン ピエール・イスブ。
「アイルワースのモナリザ」について研究しています。
どのような根拠に基づいて→
「アイルワースのモナリザ」が描かれたのは→
1503年だと判断されたんですか?
他の何年でもなく。
(イスブ)「アイルワースのモナリザ」には
両端に2本の円柱があります。→
この絵が 1503年に描かれたと判断できる
根拠は ラファエロのスケッチです。→
ラファエロのスケッチにも両端に