2019/03/10(日) 21:00〜21:55 NHKスペシャル「終(つい)の住みかと言うけれど…〜取り残される被災者〜」[字]


更に暖チーズは引きこもりがちな被災者が→
ほかの人たちと交流できる場も
設けています。
この日 初めて顔を出した
1人暮らしの及川秀作さん。
釜石市の沿岸部で被災しました。

(一同)頂きます。どうぞ 召し上がれ。
暖チーズは
4年間 声をかけ続けてきました。
その活動が実り
交流会に来てくれたのです。
日頃 どんな生活をしているのか
ようやく聞くことができました。
おせっかいの精神で
被災者の孤立を防ぎたい。
すいません 暖チーズです。
今後も地道に声をかけ続けていくことにしています。
隔絶された終の住みかの中で→
孤独に陥る人が後を絶たない問題。
それは
24年前の阪神・淡路大震災のあとも→
深刻な問題として
指摘され続けてきました。
そして 東日本大震災でも→
行政が 住居という箱を提供することを急いだ結果→
もう一つの生活の大切な柱である
コミュニティーづくりが→
後手に回ったケースが目立ちました。
更に 個人情報という壁がより高く立ちはだかっています。
もちろん 個人情報の保護は大事です。


しかし それによって 救われるはずの命が失われていくとすれば→
本末転倒のそしりは免れません。
一番大事なのは住民の命だという原点に立ち返って→
制度を柔軟に運用する段階に
来ているのではないでしょうか。
被災者の終の住みかを考える上で→
一つ 別の次元で見ていかなければならないのが→
原発事故が起きた
福島の人たちです。
ここは 南相馬市にある最大の仮設住宅
牛越仮設です。
かつては 380世帯が暮らしていましたが→
行政が 仮設住宅の無償提供を今月で打ち切るため→
残っているのは
60世帯ほどになっています。
放射線量の低下に伴い 国が
ふるさとへの帰還政策を推し進める中→
被災者への支援は
次々と打ち切られています。
それは 終の住みかをどこにするか→
被災者自身に決断を迫ることを意味しています。
厳しい選択の末に
精神的に追い詰められる人も→
相次いでいます。
生まれも育ちも浪江町の屋中茂夫さん。
今は 避難先の別の町に
家族と暮らしています。
浪江町は原発から8キロ。
放射線量が下がり→
2年前に 避難指示が

一部解除されています。
今 町のあちらこちらで
住宅の解体が進められています。
町の居住率は 6%。
長期にわたる避難で帰還を諦めた人の家を→
国は無償で解体してきました。
その支援制度の締め切りが迫り申し込みが殺到したのです。
屋中さんが 先祖代々の土地に
23年前に建てたマイホーム。
まだ十分住める この家を
解体するかどうか→
ずっと迷ってきました。
震災前は母親や子どもたちと3世代で暮らし→
ここが 終の住みかになるはずでした。
しかし 子どもたちは震災前と同じ生活はできないと考え→
戻らないといいます。
それでも 屋中さんは また一緒に住める日が来るかもしれないと→
椅子だけは残してきました。
家の維持費がかさむ一方で帰還後の生活も思い描けない。
屋中さんは
解体の申し込み期限のギリギリまで→
悩み続けました。
国の帰還政策で ふるさとに戻るかどうか決断を迫られる福島の人々。
今 深い喪失感に襲われています。
避難指示が解除され→
支援の打ち切りが続く→
一部の自治体では→
うつ病などの疑いがある人の割合が→
増加しています。
原発事故以来

福島で心の診療を続ける前田医師。
今 更なる喪失感が→
心に重くのしかかっていると指摘します。
福島の人々は 避難指示によって
家はあるのに帰れない状態が続き→
ふるさとを失ったのかどうか分からない
心理状態に陥りました。
あいまいな喪失と呼ばれるものです。
それが帰還して思い描いていた ふるさととは→
異なる現実に直面すると