2019/03/12(火) 23:55〜00:40 ブラタモリ「#126 パリ」[解][字][再]


パリ大改造を行ったのが→
当時の県知事 オスマン。
しかし オスマンの計画にはまだまだ続きがあります。
この建物と この建物の
デザインが ほぼ一緒だから→
一緒の時に建てたんですね。

あぁ~。
こっちはデザインが違うから
古いんだ。
(森田)土地を削って平らにして→
この 今の広い道と建物を造ったということです。
両側 同じように高さをそろえて→
デザインも同じにして 統一感を出して。
オスマンは パリ大改造で
景観にもこだわりました。
道の両脇に 同じデザインの建物を
4万棟以上も建設させたんです。
そして
街並みが美しく統一されたパリは→
ついに 「華の都」への第一歩を
踏み出すことになります。
オスマンの在任期間は
僅か17年足らず。
驚異的なスピードで
「華の都の基盤」を造り上げたんです。
オスマンさんはね。
かなり…
そうですね。
てっきり パリというと…
違うんだね。


「自然な地形で いい地形だなぁ パリは」と思ってたんだ。
パリのあちらこちらで見かける
僅かな段差。
それは パリが「華の都」へと
生まれ変わった瞬間を物語る→
痕跡だったんですねぇ。
更に オスマンは 美しくなった街を散策して楽しめるように→
「広い歩道」も整備しました。
すると 現在の華の都には欠かせないある文化が→
一気に花開くことになるんです。
何だ?
(森田)何でしょうか?
あぁ~。はぁ~ なるほどね。
パリといえば
昼夜問わず人でにぎわうオープンカフェ。
その様子は おしゃれな華の都を
大いに印象づけてますよね。
そうですね。
そこを人が どんどん通る…。
もう車は通るわ もう人は通るわで。
あれは もう…
東京なんか これぐらいだもんね 歩道。
これぐらいの歩道だもん。
ここで こうコーヒー飲んで
こう 人が通ってる。
ここにもう通りますもんね。
そう こう通るだろ。
あ カフェ行きましょうか。
まさか…
いいですね。

(森田)この道もオスマンが造った道になります。へえ~。
大体…
Ah,OK.
その…
Ah,OK.
(笑い声)
(森田)じゃあ こちらにお邪魔しましょう。
パリって感じだね。
いいね! いいよ。
あぁ いいですね。
いいね。
(笑い声)
パリ大改造で生まれた 美しい街。
そして カフェまで楽しめる 広い歩道。
しかし これは大改造の基盤にすぎません。
オスマンには
「華の都」を更に活気づけるため→
街に多くの人を呼び込む
計画があったんです。
そこで向かったのは 北側に1kmの場所。
オスマンは 街に人を呼び込むために一体 何をしたんでしょう?
(森田)ここは…
で あの後ろに見えるのがコンシェルジュリーといいまして→
マリー・アントワネットが最後
とらわれていた場所がここになります。→
最後 ギロチンへ向かう時は…
あ そうですか。 はい。
おっ!
(森田)待ってますね。先生。
ボンジュール。

ニコラ・ショーダンさんはパリの歴史研究家。
歴史番組のコメンテーターとしても
活躍しています。
うん?
いや まあ…
一見 普通に見える この十字路。
実は パリ大改造で整備された最も重要な場所。
街に人を呼び込むには
この十字路が必要だったんです。
どういうことでしょう?