2019/03/13(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!大阪・堺に日本のピラミッド!?「土塔」の謎に迫る】[字]


みずから49もの寺院を建立した
ともいわれています。この土塔を
作ったのは、
727年、
行基が60歳のとき。
>>当時のお坊さんの決まりごと
を記したものがあるんですけれど
も、
行基さんはその僧尼令という決まりに反した活動をしていたという
ことで、当初は国のほうから弾圧


されていたということになるんで
すね。
>>直接庶民に対して布教しては
ならないという国の決まりに反し
て、広く布教活動を実践した行基
は、都からふるさと、堺に戻り、
大野寺という寺を建立。
49の寺院の1つであるこの寺の
境内に築いたのが、この土塔だっ
たのです。
では、
3つ目の謎。
巨大な土塔はどのように作られた?
近藤さんらが行った発掘調査の結
果、これまで謎だった構造も明ら
かになりました。
土塔の1か所でその秘密を見ることができます。
>>発掘調査したときの土層を剥
ぎ取ったものをここに展示してお
ります。
>>なるほど。
この層がちょっとついてるのは、
これもう積んでいった層がそのまま残っているということですね。
>>よく見ると縦に色が違う層が
見えませんか。
実はこれは粘土の土台。
粘土の塊を塀のように並べ、その間に土を入れ、土台を作っていま
した。
この作業を繰り返すことで、ピラ
ミッドのような段差が出来上がり


ます。
崩れずに上まで積み上げるよく考
えられた構造。
さらに周りを覆った瓦にも、
大きな役割がありました。
全面を瓦で覆うことで、
土が雨風にさらされ、
盛り土が崩壊することを防いでい
たのです。
>>全部で瓦は何枚使われてたん
でしたっけ。
>>約6万枚。
>>6万枚?
>>焼くだけでも大変ですよ、瓦。
>>そうですよね。
>>東大寺の大仏殿が10万枚だ
というふうにいわれてますので。
>>実は土による塔が作られたの
は日本では堺にあるこの土塔が初
めて。
その大きさは日本最大といわれています。
ちなみに日本で今、
土による塔が残っているのは、ここ、
堺と奈良の頭塔の2つだけなんで
す。
そんな土塔では、
不定期で頂上に上るイベントを行っているということで、調査隊も
今回、
特別に上まで上らせてもらうことに。
>>おー。

すごいすごい。
>>見渡せますね、この辺りの風
景が。
>>すごい高さですね。
>>
>>高さおよそ9メートルの頂上
からは360度の眺望が。
数キロ先の百舌鳥古墳群まで望め
ました。
当時、こんなに高いものがあった
ら、相当目立ってたんじゃないで
すか?
>>そうですね。
>>ここに、
13メートルになるこの建物があったということですけれども、
その建物というのはどういう意味
合いの建物だったと想像できるわ
けですか?
>>土塔は、
この上に上ってお参りすると、
そういう塔ではなかったというふうに考えています。
中国の古い経典になんですけども、
塔を右回りに回って、参拝すると、そういうことを書かれたものがあ
りまして、ですので、
この土塔も右回りに時計回りですね、周りをぐるぐる回って、
お参りする、
そういう塔だったのではないかと、そういうふうに考えています。
>>中国に源流があるのではない
かといわれる、この土塔。
しかし当時の日本では、