ねえねえ 岡村~。
ちょっと ここ 僕いきましょうか。(野々村)ああ じゃあ お願いします。
じゃあ 岡村
愛ちゃんが持っているアレ 何て読む?
ほう! …で? 他には?
言われる時も あるんで。
はい はい。
なんで?
(笑い)
なんで?
(野々村)あっ! きた!
(笑い)
何か… 何 これ!
(野々村)惜しかったんじゃないの?
今こそ 全てのニホン国民
または ニッポン国民に問います。
今 まさに
我らが代表戦を応援している→
熱烈なサポーターの皆さんに
聞いてみました。
「ニホン」と「ニッポン」→
なぜ 2つの読み方があるのかも知らずに→
やれ 「メンタル面を強化すべき」だの
「フィジカル面に課題が残る」だの→
コメンテーター気取りのサポーターの
なんと多いことか。
ニホン語で話して下さい。
または ニッポン語で話して下さい。
何か分かる気がします。
しかしチコちゃんは知っています。
「ニホン」と「ニッポン」
2つの読み方があるのは…→
江戸っ子が
せっかちだったから~。
てやんでい。
全然 違う。
(笑い)
ねっ 中国…。
あるかも? あっ そう?
はい!
うん!
例えが壮大。
詳しく教えて下さるのは→
大東文化大学で日本語と中国語の歴史を研究している…
お願いします。
そもそも我が国が 国名にこの漢字を使うようになったのは→
奈良時代のこと。
奈良時代の人々は中国から見て 太陽の出る方角→
つまり 「日の本」に位置することから→
「日本」と漢字2字を当てて書いたと言われています。
このことは…
そこには 奈良時代→
国名を 漢字2文字に改める
ということを伝えに→
我が国から中国まで
使者が来たと→
記録されています。
「日本」と書いて「ヤマト」と呼んでいたそうなんですが…
当時の中国では この漢字を
そのまま中国語読みして…
…と発音していたのです。
その後…
多くの僧侶や 語学講師が
我が国に訪れ→
「ニエットプァン」という
読み方が→
国中に広まっていったと
いいます。
というか 日本ならではの…
…というふうに 「ニッポン」というような呼び方になっていったんです。
うまいわよ。
では もともと「ニッポン」だったのに「ニホン」とも言うようになったのは→
いつごろなのでしょうか?
江戸っ子って 早口なんですよね。
そういえば 以前 番組で→
一本締めを 短気な江戸っ子が拍手1回だけに省略したと→
ご紹介しましたが→
山口先生によると→
「ニッポン」は 室町時代に入ると
「ニッフォン」と変わり→
江戸時代
せっかちな江戸っ子たちによって→
更に 「ニホン」と
簡略化されたそうです。
つまり…
確かに 江戸にある この地名は…。
一方 大阪にある
同じ漢字の この地名は…。
だから 大体あそこは…
同じ漢字でも→
西と東で
読み方が違うようです。
「ニホン」と「ニッポン」→
現在では どちらが正しい言い方なのでしょうか?
日々 放送に
ふさわしい日本語と→
向き合っている→
NHK放送文化研究所の塩田研究員に聞いてみました。
一般的な名詞ですね
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