2020/12/21(月) 01:20〜01:50 JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス[字]


<大量の除染土が埋まっている>
<これを掘り出して>
<別の場所に移す作業が始まろうとしていた>
<普通の工事現場と

何一つ変わらないかのような>
<看板が掲げられている>
(赤城)土のうの運搬まあ 事実には違いないんです→
中に土のうが入ってるので
ただ この図書館を利用してここを通る人が
これを何をやっているのか


認識するかっていうと 僕はしない
(赤城)下手をすると 図書館の中で震災に関する調べ物をして→
その上でこの目の前を通り過ぎる人も
いるぐらいなんじゃないかな
っていう気がするんですよね
<市民の憩いの場だが>
<足元には 原発事故で汚染された土壌が存在する>
<1カ月後
掘り出し作業が始まった>
<一見 ただの工事現場だが>
<脇に積まれた土のうには>
<一つ一つ
放射線量が記されている>
<数値は今や 市内の空間線量と
ほとんど変わらない>
<あの日から
9年あまりが経過し>
<実は 赤城さんの
Twitterへの投稿は急激に減った>
<除染が本格化した
2012年から2013年にかけて>
<1日に何度もツイートを繰り返した
当時と比べると雲泥の差だ>
<もはや 撮影も
惰性だと言いながら>
<それでも
シャッターを切り続ける>
じゃあ 始めますか
いつもどおりね
はい じゃあ 始めます

<福島市郊外の定時制高校>
<赤城さんと
かつて同僚だった>
<高校教師の中村晋さん>
<赤城さんが震災後の活動の一切を>
<学校と切り離す一方>
<中村さんは国語の教師として>
<折に触れ
震災を取り上げる>
<この日は 原発事故の記憶を
テーマにした俳句の授業>
<生徒自らが
震災当時の思いを>
<五七五の17文字に込めた>
<当時 9歳>
<まもなく
二十歳を迎える生徒達が>
<改めて向き合う 震災の記憶>
「放射能無知な私は 深呼吸」ですね
え~っと これは
有佐 選んでますね
私達が震災に遭ったときは
小学生だったので
放射能とか初めて聞く言葉
ばっかりだったんで
無知っていう状態が
その当時の私とすごく重なったなっていう
(中村)「春の雪
一見綺麗でも 見えぬ汚染」
キレイでも 触れない

すごい何か切なかった記憶があって
やっぱり ダメ 危険って
放射能ついてるんだから(中村)言われた?
結構キツく言われました
(中村)キツく言われた
<「放射能
記憶と一緒に 沈ませた」>
<中村さんが気になった一句だ>
人に震災のこととか聞かれたときに
その境界線みたいなのが
あって[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]
<薄く しかし>
<あの日からずっとある原発事故の記憶>
震災が起きてから避難して
でも すごいずっと転々としてて
何か精神も安定しないまま
あちこち行ってたりしてたんで
ホント 困惑しかなくて
何が起きてるか分かんないでも とりあえず逃げなきゃって
放射線のイメージが
どうしても残ってるし
まあ これからもずっと
自分の中では
原発事故の記憶と
その痕は残っていくのかなって
<9年がたち>
<今 見えるものと見えないものとは>
今 多分
福島で生活してる中で
放射線とかを気にするのって