2020/12/29(火) 02:00〜03:15 NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」[字][再]
入隊の前夜渡辺は 自宅に後輩たちを集め→
ある音楽を聴いた。
渡辺は 自らの葬儀の際に流す音楽を決めている。
忘れられない その曲は
当然 リストに入っている。
チャイコフスキーの
交響曲第6番「悲愴」。
渡辺が入隊したのは
東京・三宿の陸軍砲兵連隊。
米軍が本土に上陸してきた時
砲弾で迎撃する任務だった。
二等兵として入隊した渡辺は
理不尽な仕打ちに直面する。
渡辺は 陸軍の内実なき精神主義に
戦前日本の病理を見たという。
(玉音放送)
「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び」。
1945年8月15日。
アジアや太平洋諸国に 深い傷を残し→
日本人だけで 310万人が
命を落とした戦争が 終わった。
軍部が政治の実権を握り
政治家や官僚が それに迎合し→
戦争に突き進んだ戦前の日本。
渡辺は 政治の過ちが個人や国家の命運を→
大きく変えてしまうことを
痛感したという。
渡辺は 読売新聞のトップとして
憲法改正試案を紙面に発表するなど→
保守論客としても知られる。
一方で 2005年 79歳の時には1年にわたる大型連載で→
日本の戦争責任を徹底的に検証した。
その際 昭和史研究の第一人者として渡辺に助言を行った→
作家の保阪正康。
戦争の痛烈な記憶を持つ言論人 渡辺に→
近年の保守論壇とは
一線を画すものを感じたという。
♪♪~(「リンゴの唄」)
焦土と化した国土の中で政治 社会体制を一変しようとする→
機運に満ちていた終戦直後の日本。
東大に復学した渡辺が論壇誌につづった文章が見つかった。
渡辺は 戦争と軍隊への憎悪から→
体制の抜本改革が必要だと考え日本共産党に入党する。
しかし 渡辺は 次第に→
個人よりも組織を重視するように見えた党本部と激しく対立。
除名処分を受ける。
しかし 共産党での激しい抗争の経験から→
後の渡辺の歩みに影響を与える→
権力掌握術を体得したという。
1950年 渡辺は東京大学大学院を中退し→
読売新聞社に入社する。
いまだ GHQ 連合国軍総司令部による
占領政策が行われていた時代だった。
軍人や政治指導者の多くが→
公職から追放されていた。
その中には
戦前に閣僚を務めた鳩山一郎や→
岸 信介らの名前もあった。
一方 戦前の政治指導者と入れ代わるように→
権勢を誇ったのが
吉田 茂だった。
太平洋戦争の開戦前
日独防共協定に反対し→
軍部と対立した吉田。
戦争末期には 極秘に終戦工作を行い→
憲兵隊に逮捕された過去を持っていた。
サンフランシスコ講和条約の1年後→
渡辺は その吉田の総理番として→
政治記者のキャリアを踏み出した。
渡辺は 政治家が あの戦争と
どのような関わりがあったのかを→
記者としての
一つの座標軸にしていたという。
そんな渡辺が 最初に懐に飛び込み
親しくなったのは→
公職追放解除で
政界復帰した鳩山一郎だった。
その当時は
吉田と対立し 冷遇されていた。
大正デモクラシーの時代に
政治家となった鳩山は→
反軍部を掲げ
東條英機と対立。
終戦時には蟄居生活を
強いられていた。
鳩山の戦前からのキャリアに
好感を抱いていた渡辺は→
足しげく自宅に通った。
ただ そこには もう一つの思惑も秘められていた。
そして 終戦から10年がたった 1955年。
戦後日本の方向性を決定づける地殻変動が生じる。
(一同)万歳! 万歳!
吉田が率いていた自由党と鳩山が率いていた日本民主党の→
2つの保守勢力が合同し 現在に連なる
自由民主党が誕生したのだ。
自民党は 「文化的民主国家の完成」→
「平和と自由を希求する→
人類普遍の
正義」を綱領に掲げた。
その自民党で