2020/12/29(火) 02:00〜03:15 NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」[字][再]


戦前の力を回復させていったのが→
公職追放解除で政界に復帰していた
岸 信介だった。
岸が終戦直後 恩師に宛てた→

戦争について詠んだ和歌が見つかった。
開戦時
東條内閣の閣僚で→
戦争指導者の
一人だった岸。
戦前 反軍的な立場だった


吉田や鳩山とは異なるキャリアだった。
渡辺は 当時の党内の空気を
鮮明に記憶していた。
権力の所在に左右される
政治家たちの立ち居振る舞いを→
かいま見た渡辺。
そして その岸が立候補した1956年の自民党総裁選挙で→
カネと数が ものをいう
政治の側面を目撃する。
一方で 平和国家という
高邁な理想を掲げながら→
他方で 生き馬の目を抜く権力闘争を行う
戦後政治の世界に→
渡辺は のめり込んでいった。
それはそうだね。
総理の座に就いた岸が
政権最大の課題として取り組んだのが→
日米安全保障条約の改定だった。
戦前は 反米の立場だった岸だが→
日米関係を強化することが
戦後日本の現実的な選択だと考えていた。
しかし 条約の国会承認を巡り
反対運動である安保闘争が激化する。
戦争の記憶が まだ生々しかった時代
反対運動は 空前の広がりを見せた。
最大の課題として掲げた
安保改定を実現させたものの→
退陣を余儀なくされた岸。
池田先生 万歳!
岸のあとを継いだのは

軽武装・経済優先路線をとった→
吉田 茂に連なる池田勇人だった。
♪♪~(「上を向いて歩こう」)
終戦から15年。
日本は 安保改定や憲法改正を問う政治の季節から→
豊かさを追い求める経済の季節に
移行しようとしていた。
そこには 所得倍増を掲げ→
高度成長の中心的な役割を担った池田の戦争体験があった。
戦時中 大蔵官僚だった池田は→
主税局国税課長として軍事予算の捻出に奔走。
終戦直後に その責任を感じ
辞表を提出した過去があった。
オーラルヒストリーの手法で→
渡辺と 戦後政治の関わりを著作にまとめたこともある→
東京大学名誉教授の御厨 貴。
池田以降の経済に重心を置いた国家運営は→
戦前へのアンチテーゼだと指摘する。
岸や池田が総理大臣を務めていた頃の自民党。
“八個師団”と呼ばれる
派閥が→
生殺与奪の権を巡って→
激しく競い合っていた。
渡辺は
政界の父として慕っていた実力者が→
激しい抗争の中で裏切られ
敗れていく様に 政治の非情さを見た。
浪花節のような言葉が
豪快な筆致でつづられた掛け軸。
この書を渡辺に贈ったのは 大野伴睦。

衆議院議長などを務めた重鎮で→
40名以上を擁する有力派閥の領袖だった。
渡辺は 大野の懐刀として→
派閥内の人事案の作成や
ほかの派閥トップとの折衝など→
政治記者の枠を超え始めていく。
国際派の記者として→
NHKの「ニュースセンター9時」の
キャスターを務めた磯村尚徳。
こんばんは。
パリ駐在の海外特派員から→
突然 政治部の
大野派担当となった磯村は→
渡辺の影響力に圧倒されたという。
渡辺が目の当たりにした戦後政治家の権謀術数。
時は 岸が総理だった時代に遡る。
これは 渡辺自身が撮影した岸の後任を記した密約書である。
難航していた
安保改定への協力の見返りに→
岸が 3人の派閥領袖たちと
交わしたものだ。
密約書には 岸の次には大野伴睦→
次いで 河野一郎 佐藤栄作の順で総理大臣になると書かれていた。
立会人として 密約の原書を持っていた
児玉誉士夫。
戦前 軍の特務機関に身を置き
大陸で 巨額の資金を調達した児玉。
戦後は フィクサーとして→
大野など 自民党の有力政治家と緊密な関係を持っていた。
しかし 岸退陣後の自民党総裁選挙で