2020/12/29(火) 02:00〜03:15 NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」[字][再]


周囲には ほとんど戦争体験を語らなかったという。
総理大臣として
日中国交正常化を実現させる半年前→
田中は 国会で
自身の戦争観を初めて語った。
1982年 田中角栄の支援を得て→
渡辺の盟友 中曽根はついに総理の座に就く。
総理大臣に任命することに決しました。

(拍手)
若い頃からのタカ派的な発言に→
世論の中には警戒する声も少なくなかった。
しかし 就任してすぐに
持論である憲法改正を封印するなど→
中曽根は 現実的な政権運営を行っていく。
中曽根には田中以上に壮絶な戦場体験があった。
東京帝国大学を卒業後すぐに召集され→
海軍主計中尉として→
東南アジア方面を転戦した中曽根。
開戦のひとつき余り後→
アメリカとオランダの駆逐艦に遭遇し


激しい戦闘となった。
(砲撃音)
阿鼻叫喚の地獄図と自ら振り返る この戦闘で→
中曽根は多くの戦友を目の前で失い→
23人の仲間を自らの手で荼毘に付した。
中曽根が戦場で経験したのは
一度策定された作戦に拘泥する→
軍の官僚主義による失敗だった。
戦争の最前線に立たされた中曽根や田中→
そして 渡辺ら 大正生まれの世代。
およそ7人に1人200万人が戦死したといわれ→
死者が突出して多い世代だった。
歴代総理大臣の中でも過酷な戦争体験を持っていた中曽根。
強い意欲を示したのが→
後に近隣諸国に大きな波紋を呼ぶことになる→
靖国神社公式参拝だった。
靖国神社には 戦死した海軍士官の弟が英霊として祀られていた。
1978年に 靖国神社に→
A級戦犯が合祀されて以降→
昭和天皇は 側近に
不快感を示していたとされ→
参拝を取りやめていた。
渡辺は 中曽根の遺族感情に理解を示しながらも→
総理大臣が公式参拝するのは
問題があると助言していた。
しかし 中曽根は 1985年の終戦の日→
戦後の総理大臣として初めて公式参拝に踏み切る。
一方で 中曽根は これ以後→
靖国神社への公式参拝を繰り返すことはなかった。
その理由は 信頼関係を築いていた→

中国共産党トップとの関係を配慮したことだった。
中曽根は 戦争を経験した
戦後の歴代総理大臣同様に→
自らの信条と現実の政策を→
巧みに切り分けることができたという。
総理大臣として 時に
評価が分かれることもあった中曽根と→
歩調を合わせた渡辺。
中曽根が5年に及ぶ長期政権を終えた後→
渡辺は ついに 読売新聞社の社長の椅子に
座ることになった。
渡辺恒雄さんへの複数回にわたる
ロングインタビュー。
それは あの戦争と日本の戦後史を→
渡辺さんに いざなわれる形で追体験するかのようでした。
今 日本人の85% 国会議員は96%が→
戦後生まれとなりました。
時間の経過によって 否応なく
戦争体験から遠ざかっていく日本。
2人の識者は
戦後の日本人が共有してきた→
大切な価値観まで薄らいでいくことは→
あってはならないと指摘します。
79歳の時 戦争責任を
1年間にわたって検証する→
大型連載を主導した渡辺さんは→
今なお 戦争を伝え続けることへの意欲を失っていません。
渡辺さんへのインタビュー→
そして 戦後日本をつくった政治家の取材を通じて感じたのは→
戦争という体験が

社会のあらゆる階層を結び→
それが政治の現場でも
一つの安全弁として→
機能していたということでした。
日本人の共通基盤としての戦争体験が失われていく中で→
社会を結び直すものがあるとすれば何か。
私たちは問い続けていかなければなりません。
♪♪~
2020/12/29(火) 02:00〜03:15
NHK総合1・東京
NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」[字][再]

読売新聞グループのトップ・渡辺恒雄氏(94)への独占インタビューが実現した。戦争との距離感の中、戦後日本はどう形成されたのか。証言ドキュメントで立体的にひも解く

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