2021/01/06(水) 20:15〜20:42 サンドのお風呂いただきます「軽井沢 IKKOさん涙の豪華別荘 編」[字]
ずっと1人でね パートナーもいなくてね1人でいるよりは→
あんな すてきな方がね
そばにいるんだから→
よかったわねっていう気持ちだったとは
言ってました。
ああ そうですか。
お母さんが ちゃんと こう→
味方でいてくれたっていうのは
でかいですよね。うん。
言ってよかったなって思いました?
だけど そうですね。
父には かわいそうなことをしましたけど
言ってよかったなとは思いました。
そして 40歳からの枠なんですが…
女性の全ての美を追求する。
女の人たちが喜ぶことは
全部やっていこうって思って→
美容家という言い方をしたんですけど。
私の今 美容としての現役は→
コスメとか いろんなものを
プロデュースする方だからっていうんで。
美容家っていう言葉も
まだ なかったぐらいですよね 当時。
もう 一部の人ですよね。
ですよね。
その中で 美容家っていうのを
もう 笑われてもね→
私の新しい生き方だから→
分かってくれる方は分かってくれるんじゃないかなと思って→
それで もう
それを貫こうと思ったんです。
そのころの
ご両親の関係なんですけども。
ああ 人生って あっという間だなって
私は思うんですよね。
父は肝臓がんだったらしいんですけど。
もう あと40日って いわれたんですよね。
余命がですか。
余命40日って。
だから もう 早く入院させて。
入院されてからお見舞い行っていろんな話をされたりは。
あのね 私 あの 母にね
「私が泣いてないんだから→
あなたが こっちに 病院に来てね
泣くっていうことがあるぐらいだったら→
自信がなかったら来ないで」
って言われたんですよ。
あ なるほど。
ほんとに じっくり2人で話し合うっていう時間は。
全くないです。
全くなかったんですね。
はい それは全くなかったです。
話し合うことなく 幸信さんは他界。
IKKOさんは 最後まで父に生き方を
認めてもらえなかったと思ったそうです。
ところが 亡くなったあと お母さんから→
お父さんが大切にしていた遺品を見せられます。
父が 私 知らなかったんですけどね。
母に 私には内緒で→
私が出た雑誌とかね
いろんなものをですね。
いわゆるスクラップブックですか?
そう 全部スクラップしてくれてたんですよ。
これ お父さんがやってたんですか?
あの うちの父がですね→
雑誌とか いろんなものを見てですね
こういうふうに やってくれてたんです。
え~ だって 激怒っていうか
要するに。
女として生きていくっていうことは→
やっぱり認めてはくれなかったですけどね。
あの 「認める」っていう最後の言葉。
「いいんじゃない?」っていうことだけは→
口にできなかったような
気がするんですね。なるほど。
だけど あの やっぱり言いたかったのかも
わかりませんけど 最後の最後はね。
あの 亡くなる時に…
ああ そうでしたか。はい。
はぁ~ なるほど。
だから それは何か→
美容っていう道を選んだことは→
親孝行が そこは できたかなと思うんですけど。 どうですかね。
もうちょっと 私が こんな感じに
生まれなかったらね→
お父さんも 幸せなことが→
いっぱい あったんじゃないかなと思うんです。
それで まあ 父の時に ああ 何か
親孝行したいなと思った時には→
もう いなくてね。
でも ず~っと お父さんは きっとね→
自分の子どもですから
ず~っと こう 頭にありながら→
こういう雑誌 切り抜きながら
全部 読んでると思いますし→
「う~ん 頑張ってるな」って。
でも 何か こう 素直に→
IKKOさんに対して
何も言えないっていう。
最後の ひと言がね 何か→