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1995年1月17日 午前5時46分。
淡路島を震源とした
マグニチュード7.3の地震が発生。
6,434人が亡くなり
およそ25万棟の住宅が全半壊しました。
それから 25年にわたり→
被災した人たちの悲しみや孤独に向き合い→
支援をしてきた人がいます。
元気?
牧 秀一さん。
神戸市で震災ボランティア団体→
NPO法人「よろず相談室」の
代表を務めています。
牧さんは
復興住宅で孤立しがちな高齢者や→
震災で障害を負った震災障害者の支援に
取り組んできました。
ああ 先生 よろしくお願いいたします。
朝早くから すみません。
よろしくお願いいたします。
牧です。 よろしくお願いします。
ちょうど この辺りは もう→
浜の埋め立て地ですよね ここはね。そうですね。
ここは 仮設住宅が7つあったんですね。
第一から第七まで仮設があって→
向こうの方も ずっと仮設だったし
こちらも仮設だった。
六甲アイランド。
かつて 2,000を超える仮設住宅が建設された場所です。
今は マンションやオフィスビルなどが
立ち並んでいます。
阪神淡路大震災から 25年。
町の景色は変わってもいまだ 不安や孤独を抱える人々がいます。
「ほっとかれへん」と寄り添い続けた
牧さんのお話を伺います。
地震発生が早朝でしたよね。
ええ。
その時は ご自宅?
家にいてですね→
もちろん 木造の家 古い家だったんで
こう揺れて→
メキメキメキッと こうなってですね→
あと2秒揺れてたらおそらく死んでると思います。
倒壊してたかもしれない。
ところが 死ぬ! と思った時に揺れが止まったんですね。
で 木造やったもんで
ポーンと戻ったんですね。
で 家族全員が助かったと。
当時 定時制高校の教諭だった牧さん。
地震のため 通勤が困難になりました。
そこで 何かできることはないかと自宅近くの小学校の避難所に向かいます。
地震発生から9日目のことでした。
じゃ その… 近くの小学校の→
たくさん避難されてきている
体育館になりますか そこに行かれて→
すぐに じゃ
こういうボランティアしようという→
何かそういうお気持ちがあったんですか?
じゃなかったですね。
何をするのか僕は分からなかったですね。
自分で何をしにいくのか とかですね明確な目標はなかったですよ。
もう既に9日目だったもんで→
全国から 若い子が学生たちは いっぱい来ててですね。
ボランティアが来てた?
来てたんですね。 ちょうど その時に→
ボランティアの
リーダーの女の子がいてね→
先生やからね 人の話は聞けるでしょ
と言うたんですよ。
そうかな? とか言いながら…。
実は 理科室に 毛布にくるまってじっとしてるおばあさんがいてる→
おっちゃんがいてる
そういうふうな状態なんですよ と。
私たちは その人たちに よう声かけません
と言われたんです。
でも 先生やからね 声かけれるでしょ
というふうなことを言われて→
う~ん ちょっとやってみる
って言って やり始めたんですね。
それが最初ですね。
その年輩の方々とのお話は じゃ牧さんなら うまくいきましたか?
いや そんなに簡単なもんやない
と思うんですね。
僕は実は 家は潰れなかったけども
やっぱ 被災していて→
その揺れを共有体験してるのでね。
だから おばあさんとかおじさんとかには→
こんな揺れやったなというようなことでは
話は通じるけれども→
家が潰れて何もかも失った人と
家の中は がちゃがちゃやったけども→
家族も失わなかったと 家も残った
というのと また違いますわね。
だから
被災してる人たちと懇意でないので→
どんな状況だった?
ぐらいは聞けるかもしれないけれども→
完全に こう