2021/01/10(日) 05:00〜06:00 こころの時代〜宗教・人生〜 選「心の置き去り ほっとかれへん」[字]


そんな感じで行きました。
行政もですね
高齢者の方や心配な方には→
回るっていう制度をね
いろいろ作りましたけれども→
そういう安否確認で回る

っていうことでは届かないんですかね?
届かないですね。
だから そのおじさんも言葉を忘れたと。
忘れてしまったおじさんも
玄関先やったもんで。
だから もうええわ って。
俺を 死んでるか生きてるかだけのね→
確認に来よったんや とかいうふうな
言い方をしてましたけどね。
やっぱり
その人とのつながりを持つためには→
その人が いいよっていうところまで
いいよっていう時間まで→
やっぱり その人に耳傾けなきゃいけない。
…と思いますね。
話を聞くっていうのはね
とても しんどいことですね。
ああ そうですか。
自分の身内が亡くなったとか→
家が潰れてどうしようかとか そういう
マイナスな考え方が出てきますね。
だから ある時はチャリンコでね 回って。
自転車で回って。で 3人の人に→
7時間聞いたんですよ 話を。


うわ~。
あの時は
もう自転車に乗れなかったです 帰り。
もう エネルギー全部
ぶわぁっと吸い取られたような感じでね。
だから もう 話を聞くっていうのは
こんだけ しんどいものやなというのを→
あの時 ほんとに実感しました。
でも 牧さんは やめなかった。
そうなんですよね。
なんか分からへんですね。
だから なんでか? というふうに
ちょこちょこ聞かれる時があるんです→
しんどいのにね なんで やめなかった?
…と いつも考えて→
その人をほっとかれへんちゃうの?
というふうには いつも思うんですよ。
25歳で定時制高校の教諭となった牧さん。
受け持ったのは 複雑な家庭事情を持ち→
経済的にも厳しい状況にある
生徒たちでした。
牧さんは うまく学校になじめない生徒の
家庭や職場を訪問するなど→
一人一人の生徒と
向き合うことにしました。
牧さんは 大学を卒業されて→
昭和50年ですか学校の先生の道に進まれました。
学校の先生は どうして?
僕はテニスをしてたもんで。テニス。
はい。 数学を教えながら 夕方

部活動をしようというふうに思って。
これなら テニスの指導もできますよね。
できると。 できるしと思って。
で できるだけテニスが強いところ…
神戸 強かったんですよ。
だから 神戸市の教員になろうと。
そこでパッと受けたんです。で まあ通ったと。
で… だから
大学生の頭しかなかったのでね その時は。
定時制高校というのは
ある存在すら知らんかった大学生だった。
だから通ってからね 配属されますよね。
校長が「君 こっちや」て言ったんが定時制高校やったんです。
えっ? ってなって
定時制高校って何ですか? って聞いて→
怒られたんです それで。
「君 知らんのか」いうて怒られたんですね。
で 入った。
で 定時制高校に行ったら→
もう 40年ぐらい前ですけどもね
パッキンの子がおってですね→
金髪にして。
染めている。
ピアスしてて みんな こう まっすぐ…
着任式の時でもね 前を向いてへん→
ハスに構えとんですよ。
で これは大変やなと思って→
着任式の挨拶は ひと言で
お前らに負けへんぞと言うて→
パーッと去ったんですね。

それがもう最初です。
あの時は 暴走族とか
はやっとってですね。
この子たち やっぱし
「なぜ金髪なんだろう」とか→
「なぜ荒れてるんだろう」とか
「なぜ不登校なんだろう」とかいうふうな→
「なぜ」がつくので。 なぜっていうのは
やっぱし 知ろうとするんですね。
知っとかないと