2021/01/10(日) 06:10〜06:45 目撃!にっぽん 選「筆を折った“幻の女性作家”〜沈黙の人生をたどる旅〜」[字]


芙沙子が生まれ育ちそして小説に描いた 沖縄。
淑さんは

祖母の人生をたどることにしました。
こんにちは ご無沙汰してます。
こんにちは すいません 今回は。
何か ありがとうございました
資料を送って下さって。いえいえ。
まず訪ねたのは 沖縄の歴史を研究する…
芙沙子の作品や人生を長く研究してきた人です。
基本 戦前の新聞
ということについてですね。
淑さんが見せてもらったのは
大正時代の新聞記事。
仲村さんは そこから 芙沙子の幼少期の
暮らしぶりが分かるといいます。
芙沙子が生まれ育った時代は→
琉球王国が廃止されて沖縄県となってから20年余り。
かつて 王家に仕える
役職にあった久志家。
しかし 琉球時代の制度や仕組みが


廃止される中で→
没落の一途をたどりました。
この中にですね…。
芙沙子が
貧しい幼少期を過ごしていた頃→
教育雑誌に掲載された作文も
見つかりました。
あっ これだ。
これですね。 はい。
当時12歳の芙沙子が
本名のツルの名で書いた作文。
そこには
住まいを転々としながら暮らした→
幼き日の祖母の面影がありました。
「私の家は 久茂地にあります。かぞくは たった三人です。→
朝はやく おきて 庭に出ますと→
なんともいえない いいきもちがします」。
当時の沖縄の伝統や暮らしが
土台から揺るがされる激動の時代を→
芙沙子は生きていたのです。
その後 芙沙子は書くことに夢中になっていきます。
さようなら!
さようなら!
バイバーイ! バイバーイ!
訪ねたのは 芙沙子が通った…
芙沙子の卒業後 ひめゆり学徒隊を
送り出したことで知られています。
感じられますよね。
17歳の時 芙沙子が詠んだ和歌は文芸誌に入選していました。
結婚を機に 19歳で沖縄を離れ

作家を目指して上京した芙沙子。
その後は 年下の男性との
恋愛について書いたエッセイが→
雑誌に掲載されるなど→
作家としての片鱗を見せ始めます。
そして ついに28歳の時→
婦人雑誌に投稿した小説が編集部の目に留まり→
華々しい作家デビューになるはずでした。
夢や希望に満ちていた祖母はなぜ 作家の道を閉ざされたのか。
芙沙子に抗議したのは→
沖縄出身の若者が集う県人会や学生会のメンバー。
その中心人物だったのが→
当時 20代だった…
福地氏は既に亡くなっていましたが
娘が健在であることが分かりました。
[外:E806D1481CFA721DA5F60413531F39BD](呼び出し音)
[外:E806D1481CFA721DA5F60413531F39BD]はい もしもし?あっ もしもし。
あの~ 私 加古と申しますけれども。
[外:E806D1481CFA721DA5F60413531F39BD]あっ どうも はじめまして。はじめまして。
電話の相手は 福地氏の長女で
82歳の智子さんです。
新型コロナウイルスの影響で→
高齢の智子さんへの聞き取りは電話で行いました。
[外:E806D1481CFA721DA5F60413531F39BD]そういうとこ あります はい。
当時 東京の大学で学ぶ 多くの若者は→
ふるさと 沖縄に戻って
琉球の文化や風習を正し→
本土に近づけるという
使命感を持っていました。
そんな時代に発表された 芙沙子の小説。

当時の沖縄に残る琉球文化について率直につづった文章がありました。
入れ墨についての
文章です。
琉球に
古くから伝わる→
女性が手に施す
入れ墨。
明治32年に 野蛮な風俗として
日本政府に禁止されました。
小説につづられているのは
その女性たちの悲哀です。
しかし こうした風習は
沖縄の人たちにとって→
隠したいことだったのです。
そうすると…
はい はい はい。 なるほど。
そうですね。
東京の大学を卒業後 沖縄に戻って
高校の教員になった福地氏。
琉球時代の文書や着物を