取材にご協力いただきました全国の皆様
本当にありがとうございました。
(杉浦)今日の「逆転人生」はあの大事件の その後の物語。
知られざる奇跡の逆転劇です。
この辺りは当時 「産廃銀座」と呼ばれ→
たくさんの産業廃棄物処理場が
集中していました。
焼却炉からモクモクと立ち上る煙。
そこに含まれるダイオキシンが→
近くで生産された野菜を
汚染しているのではないか。
ニュース報道をきっかけに…
その矢面に立たされたのが 今回の主人公。
産廃会社の社長 石坂典子さんです。
(山里)さあ ということでですねこちらに いらっしゃる方が→
めちゃくちゃ抗議を受けていた
石坂さんなんですが。
さあ このあと
どんな逆転をしたと思います?
えっ ああいう反対運動とかね→
ちょっと逆転できないような印象がある。なんか裁判みたいになったりとか。
(SHELLY)そうですよね。
そうそうそう。
2人 逆転できないという
答えになりますと→
もう この時点で…
♪♪~
20年前 私は
父が経営する産業廃棄物処理会社で→
総務の仕事をしていました。
その日 朝 出勤すると 門の前に社員たちが集まっていたんです。
「でていけ」って…。
どういう意味だよ これは。
どうしたの?
こんなものが貼られてました。
(SHELLY)あらら
これ 気分よくないな。
どうして こんなことに…。
きっかけとなったのはある民放のニュース番組の報道でした。
その時 私は27歳。
2人目の子どもの出産を間近に控えていました。
(泣き声)
どうした? どうした?どうした? どうした?
その言葉に
胸騒ぎはしたのですが→
この時は それほど
深刻に受け止めませんでした。
実は この報道の2年前
私たちの会社は 15億円をかけて→
最新型の焼却炉を
建設していました。
ダイオキシンの排出量は
国の基準をしっかりクリアしていたため→
私たちとは
関係のない話だと思ったんです。
そうでしょ。
しかし報道の影響は すさまじく→
翌日には
所沢産の野菜の価格が暴落。
地元農家は大損害を受けました。
その後 国が安全宣言を出しましたが→
住民たちの怒りは
収まりませんでした。
この地域は 大量のゴミを出す
東京からのアクセスがよく→
私たちの会社以外にも たくさんの
産廃処理場が集まっていました。
焼却炉の数は 64基に及び→
そこから出る煙が周囲一帯に立ちこめていたのです。
みんながみんな 最新のシステムで
やってたわけじゃないから。
ここで代々 農業を営んできた
関谷 豊さんは→
激しい怒りを感じていました。
ニュース番組を放送したテレビ局には→
風評被害を起こしたと抗議しました。
そして その怒りは私たち産廃業者に向けられたのです。
関谷さんたちの怒りは
私たち産廃業者の立ち退きを求める→
住民運動に発展していったのです。
焼却を今すぐ やめろ!焼却を今すぐ やめろ!
きれいな空気を返せ!
きれいな空気を返せ!
お父さん…→
大変なことになっちゃったね。
この先 この会社を
どうしようと思ってるの?
どうもこうも
続けていかなきゃ しょうがねえだろ。
社員のこともあるし。
やめるわけには いかねえよ。
激しい抗議に ほとんどの産廃業者は
立ち退きを決めました。
でも父は 何とか
事業を続けようとしていました。
父は この仕事に それだけ
誇りを持って取り組んでいました。
でも実は 私は父の仕事が嫌いでした。
周りからの蔑むような目から逃げ出したくて→
高校を卒業すると