2021/01/11(月) 22:30〜23:15 逆転人生 選「ヤマユリ咲き誇るゴミ処理場」[解][字]
すぐアメリカに留学しました。
帰国後
父の会社で働き始めましたが→
それも 憧れていたネイルサロンの
開業資金を稼ぐためでした。
でも 産廃処理場で働くうちに
少しずつ考えが変わっていったのです。
大量のゴミを分別し 焼却するのは→
すさまじい重労働。
ここで流れた汗が社会を支えていることに
気付かされたのです。
ねえ お父さん
どうして この会社をつくったの?
うちは農家で兄弟も多く
高校へ行ける余裕なんか なかった。
中学を卒業したら
魚屋の見習いで働いた。→
タクシーの運転手をやったり
長距離運転手をやったり→
仕事はキツかったが 何とか金をためて
思い切ってダンプを買った。
毎日 建設現場から出るゴミを
お台場に持っていく。
朝の5時 6時だってえのに そこには
100台以上のダンプがずらっと並んでた。
そいつらは
山積みしたゴミをおろしていく。
次から次へとな…。
毎日毎日 解体した廃材を東京湾に運び 埋め立てる。
こんなことが いつまでも続くわけがねえ。
それで今の仕事を始めた。
(SHELLY)すごいなぁ。
未来 見据えての…。
東京湾の埋め立て現場を
目の当たりにした父は→
人がやりたがらない産廃業を始めました。
しかし…。
産廃業者は出ていけ!
産廃業者は出ていけ!
ダイオキシンをまき散らすな!
私たちの会社は きちんとダイオキシン対策をしている。
そう説明しましたが
住民たちの信頼は得られませんでした。
農業と産廃は共存できない→
今すぐゴミの焼却をやめろと要求されたのです。
次第に父は
会社を続ける気力を失っていきました。
(典子)ものすごく…
その時 私は自分でも思いもよらない行動に出ました。
経営のことなど
何も分かりませんでしたが→
産廃業の大切さを
父に代わって訴えたいと思ったのです。
うわ~ 大変な盛りだ。
父は 随分悩んだ末私に社長を継がせると決めました。
でも ある日 自宅のポストに入っていた
チラシを見て 私は衝撃を受けました。
会社が出すダイオキシンが
地域の子どもたちの健康を損なっている。
立ち退きを求める署名運動が
始まったのです。
住民たちの怒りは 想像を超えるほどに
燃え上がっていました。
この会社の あのタイミングで→
社長になりたいっていう気持ちが僕は 全く今のところ分からないんですよ。
人から見れば
あの場で立候補するって→
どうかしてると思いますよね。
いや そうですよ。
僕だったら ネイルの方に進みますね。
そうそうそう。
あそこで立ち上がろうと思った気持ち
なんでなんですか?
やっぱり 初めて父親の思いを聞いて→
この思いが誰に伝わってるんだろうと思ったんですよね。
この思いを継ぐということに
一番近くでできるのは私じゃないかって。
そっか。 でも もともとは→
産廃の仕事が嫌だったっていうふうに言ってましたけど。
やっぱり もともと父が始めた時に
石坂組っていう名前で→
結構 学校に行くとですね
暴力団の関係者の娘じゃないかって→
からかわれたんですね。
はぁ~。
で 多くの人たちが→
ゴミ屋さんとか 捨て場屋さんっていう言い方をしていたので→
そういう所の娘だ 娘だ
って言われるのが ちょっと嫌で→
ちょっと 父の仕事を自慢げに
言うということは できなかったですね。
ちょっと まだ 子どもの頃だと
それを理解するのは難しいですもんね。
改めて この所沢のダイオキシン問題
どんな事件だったのか→
この問題を長年調査してきた
定松 淳さんに来て頂いています。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
定松さん そもそも