それを回して調整するトラスロッドっていうのが入ってんだけど→
その鉄芯がね 微妙に空間があいてて→
そこが鳴ってて この音がするの。(ギター)
はい…。
有名なジミー・ペイジはどこで弾いてんのかな フロントかな?
♪♪~
いや すごいねこれ レッド・ツェッペリンだね。
すごいっすね。
すごいって思ってないじゃない。
でも ほんと これまた すごく
こっちのピックアップなのかな これ。
♪♪~
いや 違う。 あっ そうだ 違うわジミー・ペイジは 違うわ。
60年のやつだ。 59年じゃないわ。
ああ そうですか。
ハハハハハハ。
ギター少年だった 福山雅治。
18歳で ただ音楽を
やりたいという一心で上京。
そのころの気持ちを
赤裸々に語った。
僕は 本当は最初から
音楽をやりたかったんだけれども→
きっかけが なかったから
何でも いいやっていうことで…
田舎もんだから
事務所に入りさえすれば→
実は音楽やりたいんですよねって
言ったら→
言ったら やらせてくれるもんだという
甘い考えで入ったわけです。
で 「福山君 何やりたいの?」って言って
「音楽やりたい」って話で→
「あっ そうなの。 分かった
じゃあ 曲持ってきて」。
その時ですよ 初めて気が付く…
ハハハハハ…随分 遅かったですね。
おや!? と思って。 ものすごい勢いで
「いや 俺は 本当は役者志望じゃなくて→
音楽をやりたくて 東京 来たんですよ。→
だから どれだけ もちろん役者も やらせてもらいますけど→
本当は 音楽をやりたいんですよ」って。
「じゃあ そんなに言うんだったら福山君 曲持ってきて」。
「ない」 初めて気付いた。
なんで そこ よく自信持ってましたね。音楽やりてえんだって。
でも ある種ね
それぐらい勘違いしてないと→
突破できないものって
やっぱ ありますよね。
俳優デビューから 2年後の1990年
自ら 作詞作曲した曲でデビュー。
しかし ヒットに結びつかなかった。
その後 小さなライブハウスをまわり地道に活動を重ね→
少しずつ ファンを増やしていった。
全然 何か 大したタレント表現力がない僕だけれども→
アルバムを作って頂けてね
事務所が頑張ってくれて→
レコード会社さんも お金出してくれて→
で ライブやったら やったらやったでライブハウスですけど→
少しずつ 回を重ねるごとに
お客さんが増えていって→
あれっ? と思って これ 何か
やらせて頂いてるなっていうのは…→
そこは さすがに
バカじゃないから分かるわけ 自分でも。
だから これは 応援して下さってる
ファンの方から「頑張ってね ましゃ。→
あなたが
やりたいことが いつかやれるように→
なりたいものに いつかなれるように
頑張ってね」っていう→
その応援という 猶予?
自分が 何かこう上達する 技術的なこと→
いろんなことが 上達するための猶予を→
ファンの方に与えて頂いてるんだなっていうのは→
これは もうデビュー当時 わりと
早い段階から そう思ってましたから。
だから もう こうじゃないなとか
何か違うなって思うことでも→
ファンの方や 事務所の方が
それが望むものであれば やってみようと。
うんうんうん。
うん。
何かその 何ですかね こう
抱かれたい男でも何でもいいんですけど→
別に 抱かれたい男になりたくて
僕 東京 来たわけじゃないけど→
もし そういう
ニーズがあるとするならば…
ハハハハハ…!
いや 「どうぞ抱いてください」って言ったって別に…。
「どうぞ抱くよ」かな!? どっちかな?
これ ちょっと分かんないんだけどさ。
それね それだけ言っても やっぱりね
何て言うんだろうな嫌味にもならないし→
面白いって やっぱり すごいですよね。
そうかしら?
だからね 自分でね
抱かれたい男とかに選ばれてさ→
書いてあるわけ 皆さんのコメントが。