2021/01/17(日) 00:30〜00:55 福島をずっと見ているTV・選(53)「刻み続けられていく“時”」[字]

今年の夏 ある高校の校舎に取材に入りました。
東電福島第一原発から
およそ10キロ。
生徒たちが はしゃぐ声や→
授業をする先生の声が聞こえなくなって5年目。
この夏 当時の生徒が
私物を取りに戻ってきました。
あららら…。
下敷きですね。 自分の。
♪♪~
(シャッター音)
時計が止まったままの教室。
みんなは何を持ち帰るのでしょうか?
♪♪~
全ての町民が避難を余儀なくされている富岡町。
早ければ 2017年4月の
帰還開始を目指しています。
昭和25年に創立された
富岡高校は→
町で唯一の高校として
親しまれました。
原発事故のあと 生徒たちは→
サテライト校に通う人 転校する人などちりぢりになりました。
そして 5年目の今→
サテライト校も含め 来年度いっぱいで休校になる事が決まっています。
処分するわけにもいかず
片づける事もままならずに→
そのままにしてあった
生徒たちの私物。
休校になる前に


持ち主の元に戻してあげたい。
学校側は
「私物を取りにきませんか?」と→
当時の生徒たちに呼びかけ→
夏の4日間 2時間限定で校舎を開放する事にしました。
(スタッフ)震災から入ったのって?
初めてです。
ノートだけですね。
最初に出会ったのはサッカー部だったという人。
まあ これは 片方はメニュー。
あとは 試合の結果 反省。
ここと あと町のグラウンドを使って。
個人ロッカーの前でガチャガチャやっている人がいました。
(スタッフ)何番だったかな
…みたいな?そうなんです。
意外と覚えてないもんだなと
思って。
どうしても開かないので→
学校の許可をもらってこじあける事にしました。
高校の時に これやってたら
器物損壊ですよね。
当時 使っていた辞書を
持ち帰りたかったんだそうです。
このままですね ここ。
はい。
自分の席は ここなんですけど→
授業の時は ちょっといろいろ位置が変わって ここでした。
よく分かんないままに
避難とかだったので…
いいなぁと思います やっぱり。


教室を出る間際 大関さんは黒板にクラスメイトへのメッセージを残しました。
自分 転勤族だったので
小学校入学も 卒業も違うし→
中学校 入学 卒業も違うので。
一つの学校で 入学して卒業するっていうのが→
ずっと夢だったんですけど→
やっと あと1年でできるな~っていう最後だったので→
何か悔しいっていうのも
あるんですけど…。
体育館にも 人の姿がありました。
(シャッター音)
あ~ くそ!
今日 初めて来ました。
懐かしいけど 当時を思い出すなぁ
というのが大きくて→
ショックですね。
当時1年生で サッカー部に在籍していた [外:4FA502FAE518F55E1292FB352742BEB3]田さん。
見つけたのは 2010年9月に
授業で書いた手紙。
半年後の自分に宛てたものです。
こんな一文がありました。
実はですね サッカーが教えられる
教師って言ってたんですけど…
♪♪~
[外:4FA502FAE518F55E1292FB352742BEB3]田さんは 2年前から→
いわき市のチームで
小学生にサッカーを教えています。
今は 補助的な立場の[外:4FA502FAE518F55E1292FB352742BEB3]田さん。
より質の高い指導ができるよう→
コーチのライセンスを取るのが

目標なんだそうです。
学校から持ち帰った手紙は
大事に取ってありました。
富岡で言われてた事が
一つ まだずっと残ってて…
…という言葉が
監督の言葉であって。
それが ずっと印象に残ってて。
震災で こっちに来なきゃいけない子とかもいる中で→
少しでも 力になれる事は→