当時は これほどの災害を想定した備えはなかったといいます。
崩れた家で一命を取り留め
民間病院に搬送された横山吉孝さん。
治療のための検査さえ行われず
4時間が過ぎていました。
その時…。
吉孝さんは最後まで十分な治療を受けることなく→
息を引き取りました。
「適切な治療を受けていれば助かった可能性がある」。
震災後 掛かりつけの医師から
そう告げられた横山さん。
それでも
当時の病院の状態を思い出すと→
夫の死を
受け入れるしかありませんでした。
(鈴の音)
やっぱりね…
横山さんのように→
適切な治療を受けていれば助かった可能性のある人は→
どれくらいいたのか。
それを知る手がかりが大阪大学に残されていました。
救急医学が専門の吉岡敏治さんです。
吉岡さんは被災地の病院に入院した患者の→
膨大な診療記録を調査しました。
分析したのは 6,107人分。
そのうち 527人が→
病院にたどりついたあとに亡くなっていました。
詳細な検証の結果→
およそ1割は救えた可能性があったと→
吉岡さんは考えています。
両足が家屋の下敷きになった男性。
病院に搬送されたものの 薬品が不足し
治療が困難に。
その後 容体が悪化し 亡くなりました。
倒壊した家の中から救出された女性。
人工透析や手術を受けていれば
助かる可能性がありました。
病院の機能が まひし
未治療死が相次ぐ事態。
更なる医療の崩壊を招いていました。
もともとの入院患者など支援を必要とする災害弱者にも→
命の危険が及んだのです。
震災当時 60代の母親が大学病院に入院していました。
肝臓の病気を患っていた 母の美年子さん。
治療が功を奏し 順調に回復していました。
しかし 地震で大学病院が被災。
ライフラインが途絶えた上医師の6割が出勤できない状況でした。
当時の入院患者は 961人。
その ほとんどが転院しなければならない事態に陥ったのです。
治療が中断して4日後。
民間病院に転院を余儀なくされた美年子さん。
しかし そこでは 高度な治療は受けられず
2週間後に亡くなりました。
これは あの…
地震の被害を直接 受けたわけではなかった 母親の死。
阪神大震災により 病院機能がなくなり
亡くなったっていう…。
病院機能が まひし→
未治療死が相次ぐ中で→
危機が入院患者にも波及する事態。
医療崩壊は 更なる連鎖を生んでいきます。
避難所の高齢者など
災害弱者への対応が→
行き届かなく
なっていたのです。
地震を生き延び
避難所に逃れたにもかかわらず→
命の危険にさらされた人たち。
体調の悪化などで亡くなった災害関連死は919人に上りました。
災害支援の看護師として 各地の被災地で
活動している 山中弓子さんです。
26歳の時に
阪神・淡路大震災で被災しました。
震災直後から半年間にわたり→
避難所で救護ボランティアとして被災者のケアに当たりました。
病院など 医療機関からの必要な支援が
滞りがちだった避難所。
大丈夫か? お~い お~い…。
インフルエンザなどの感染症やストレス性疾患によって→
亡くなる人が相次ぎました。
救えたはずの命が連鎖的に失われていく事態を→
どう食い止めるか。
日本医科大学の布施 明教授は→
負傷者の未治療死を減らすことが
連鎖を止めるカギを握ると指摘します。
医療が 最もひっ迫する
地震発生直後の対応。
ここで医療資源が
十分にあれば→
負傷者の対応に追われ→
未治療死が続出する悪循環を断つことができます。
負傷者対応で
医療がパンクする事態が避けられれば→
入院患者や 避難者など→
災害弱者の対応にも手が回るようになり→
救える命を守ることに
つながるといいます。
(サイレン)
阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ→
災害医療の現場で