まず 改善が図られたのが→
災害直後の支援体制でした。
2005年に設立された災害派遣医療チーム DMATです。
DMATの隊員は 専門の訓練を受けた
医師や看護師など 1万5,000人。
通常は 全国の医療機関で働き→
災害が発生すると 現場へ急行します。
DMATが その存在感を発揮したのは
2011年に起きた 東日本大震災でした。
全国から 383チーム
1,800人以上が駆けつけ 救命活動を実施。
負傷者が集中し→
病院機能が まひするおそれがある災害拠点病院などを中心に→
支援に入りました。
DMATは 医療崩壊を防ぐために→
ヘリコプターによる 広域搬送も実施。
重傷者への高度な医療を確保すると同時に→
被災地の負担を軽減しました。
DMATの設立に尽力した一人→
兵庫県災害医療センターの
中山伸一さんです。
阪神・淡路大震災の時→
大学病院で重傷者の対応に奔走していた 中山さん。
治療が間に合わず 多くの命が失われた
その経験が 活動の原点にあります。
DMATによって 大きく変わった
発災直後の救命活動。
しかし 課題は積み残されました。
災害弱者が取り残される事態が相次いだのです。
東日本大震災で被災した 民間病院です。
津波が押し寄せ 2階まで浸水。
多くの医療器具や 薬が水没しました。
当時 病院には132人の入院患者がいました。
津波の直接の被害は免れたものの→
ほとんどの人が 早急なケアを必要とする災害弱者でした。
しかし 病院に支援の手は届きません。
当時 DMATは 地震の負傷者への対応を優先しており→
もともとの入院患者などの支援は
想定に入っていませんでした。
孤立して 1週間。
10人の患者が亡くなりました。
当時 看護部長を務めていた
庄司正枝さんです。
迅速な支援がなければ 命が危ぶまれる
災害弱者にも→
目を向けてほしかったといいます。
こうした苦い経験を経て→
DMATだけではカバーできない
医療支援を補完する→
新たな仕組みが整えられています。
民間病院による 独自の医療支援班AMATです。
東日本大震災後 2013年に設立されました。
全国で およそ1,000人の隊員がいるAMAT。
民間病院同士のネットワークを生かして
情報を集め→
国や行政の指示を待つことなく
支援をする仕組みです。
DMATとも連携し 負傷者の
救命活動に当たるほか→
入院患者や避難者への医療支援も
行います。
AMATの機動力の高さが生かされたのが
2019年の台風被害。
独自に集めた情報をもとに→
まだ支援の来ていなかった民間病院にチームを派遣。
高度な医療を受けられる病院へ
患者の搬送を繰り返し→
救命につなげました。
AMATの設立に取り組んだ加納繁照さんです。
病院間の連携を進めることが→
被災地の医療崩壊を防ぐ大きな力になると考えています。
しかし 今 私たちの前には
これまでの備えだけでは→
乗り越えられない事態が
立ちはだかっています。
今後30年以内に 70%から80%の確率で
発生するとされている→
南海トラフ巨大地震。
国は 最悪の場合 死者は32万人負傷者は62万人と想定しています。
巨大地震によって
どれくらいの未治療死が発生するのか。
布施 明教授の研究チームが→
最新のシミュレーションでその数値化に取り組んでいます。
現在の医療機関の体制や
医療スタッフの数 病床数など→
医療資源の規模を入力。
DMATなど 外部からの支援チームが入ることも想定します。
南海トラフ巨大地震の被害が
特に大きいとされる→
9府県の試算です。
最悪の場合 およそ8万人の未治療死が発生することが分かりました。
国の被害想定では見えなかった
新たなリスクが浮かび上がったのです。
特に 多くの未治療死者が出ると
算出されたのが 高知県です。
想定される重傷者は 2万2,190人。
そのうち 83% およそ1万8,000人が未治療死するという→
衝撃的な結果でした。
未治療死が多発する理由は医療機関の数が少なく→
地域の拠点病院の間が