2018/06/23(土) 21:00〜21:54 世界ふしぎ発見!【自分の道をふみしめて 日本初の考古学者 水戸光圀の謎】[字]

<今日の「ふしぎ発見!」は>
徳川光圀でございます
<知られざる水戸黄門のふしぎに迫ります>
ええい 静まれ! 静まれ 静まれ
(檜山)この紋所が目に入らぬか
畏れ多くも 前の副将軍
水戸光圀公にあらせられるぞ
ははあ~
という名場面で日本人の心に刻まれたのは
この方 水戸黄門!
です
<水戸黄門でおなじみの
水戸藩主・徳川光圀>
<徳川家康の孫で

もちろん実在の人物だ>
<水戸の人達は
郷土のヒーロー・黄門様が大好き>
<観光ボランティアの そっくりさんに
協力してもらいました>
第1問
○か×か どっち?
えっ 違うの!?
<実は 幕末から明治にかけ>
<徳川光圀を主人公にした講談>
<「水戸黄門漫遊記」が大人気となり>
<その後 映画化された>
第2問
水戸黄門こと[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]

×また×?
<正確な身分は権中納言>

<その別名が黄門>
<講談で 庶民に分かりやすく
副将軍とした>
してほしい!
○やっと○だ よかった
助さん 格さんも
実在の人物ですか?
(2人)実在します
<長きにわたり日本人に愛されてきた>
<水戸黄門の物語>
<しかし 実際の徳川光圀と 助さん格さんは>
<諸国漫遊ではなく

こんなものを作っていた>
こちら 光圀公が編纂した
「大日本史」の一部だそうです
<光圀公は 何と
古墳の発掘調査や保存も行い>
<[外:C06A278CFFC82DDC67709E5E9577F148]とも呼ばれているんですよ>
<そして水戸にはこのようなものが存在した>
こちらの図は 水戸徳川家に
長い間保管されてきた
「祇園精舎図」です
<江戸時代初期に描かれたこの図と>
<ぴったり重なる遺跡がある>
<それはインドではなく意外なことに…>
こちら カンボジア
アンコールワット遺跡です
何と この「祇園精舎図」
明治に入ってから
アンコールワットの正確な見取り図だ

ということが分かりました
<しかも 遺跡の柱には>
こちらは 日本から来た侍が書いた落書きです
<何と
この落書きは>
<17世紀
日本の侍が>
<実際にアンコールワットを訪れた
証拠だというのだ>
<このアンコールワットの
見取り図は[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
<そして 後に ご禁制となった
海外の図を>
やはり水戸光圀の命令に応えて
差し出したんじゃないでしょうかね
<幕府の中枢にいながら
ラーメン 餃子をたしなむ[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
<水戸の[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
<そして日本初の考古学者とも呼ばれる[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
皆さん こんばんは
こんばんは
さあ今夜は 水戸黄門として
親しまれております
徳川光圀公の意外な素顔に迫ろう
ということなんですね
今日この番組 初めて
出てくださいました カミナリのお二人
水戸藩のあった茨城のご出身です
そうですね
地元での徳川光圀公は どんな形でリスペクトされてるんですか?

旅行大好きおじさんそんなふうに思ってねえ→
そんなふうに思ってねえよ
スーパースターとして見てましたからねドラマにもなってましたし
情報がすごい薄いけど大丈夫?
大丈夫ですよ
水戸黄門 意識して
僕いつも黄色の着てんですよ
(東)たまたまでしょ
で まなぶ君のボケスタイルは
うっかり八兵衛から来てます→
うっかり八兵衛から来てますリスペクトしてますから はい
岩下さんですけれども
伝統文化評論家のお立場からは
この光圀公 どういうふうに
捉えてらっしゃいますか?
戦乱の世が終わって
これからは学問を修めて
武士も 徳で 世の中を
治めなきゃいけないということを
お広めになった方だと思います
偉い方だったんだと思いますそうですよね
実在した光圀公はですね
大変 好奇心が強くて
バイタリティーにあふれた方だったと
言われております
まずは その知られざる一面から
見ていきましょう
第1問 ふしぎ発見!
向こうに見えるのが東京ドームです
徳川御三家である水戸藩は

江戸にも広大な土地を持っていました
<現代の地図と重ねると>
<その広さが実感できます>
<徳川御三家とは
尾張 紀州 水戸を指す>
<水戸藩は参勤交代を許され>
<城主の多くが江戸住まいだった>
光圀公も30歳までは江戸暮らし
晩年は 名君で知られる光圀公ですが
10代の頃は
荒くれ者 不良と評判でした
<光圀に多くの指針を与えたのが>
<明から亡命した儒学者朱舜水だった>
<この中国風の庭園の設計も
その一つ>
<さらに 朱舜水から伝えられ>
<現在 水戸の名物ともなっているのが>
はい お待ちどおさまです
はい ありがとうございま~す
ラーメンと餃子です
<水戸藩ラーメンは光圀特製のレシピを再現したものだ>
<その特徴は 5種類の薬味>
<これらは五辛と呼ばれ>
<精力旺盛となることから
仏僧は禁じられていた>
薬味の香りが強いですね
これはエネルギー食ですね≪そうですね
<ラーメン 餃子は>
<当時の日本ではほぼ知られていない料理>
<光圀は

無類の新しもの好きだったのだ>
レンコンが…
<麺に練り込まれているのは水戸領名物・レンコン>
<現在の水戸藩ラーメンにも
受け継がれています>
薬効成分があるということで
入れたみたいです
へえ じゃあ健康のためを思って
あえて入れたってことですか?
そうですね 古書には
「滋養に良い」と書いてあるので
<健康オタクでもある
光圀公>
<享年73>
<当時としてはかなりの長寿>
<光圀は 自分だけでなく>
<その健康知識を広く世に知らせようとした>
<江戸版「家庭の医学」を
出版したのだ>
<水戸の植物園には>
<本に掲載された植物とその効能が紹介されています>
<例えば こちらは…>
葛は風邪や二日酔いに効くそうです
<光圀は 本を
無料で配布し>
<領民の健康を
願ったという>
<植物園には
こんなものも展示されています>
光圀公も使っていた

アカザで作った杖なんですけれども
うわっ 軽いですね
100グラム… 200グラム
1キロは絶対にない
<アカザは 軽くて丈夫でしかも 身近に生える薬草だ>
<光圀の持ち物は 全て質実剛健
実用的だった>
こちら 光圀公が持っていた
日本に現存する最古の メリヤス編みの靴下です
大きくて 柄が入っているんですね
舶来のものでもいいと思ったものは取り入れる
先見の明が
光圀公にはあったんですね
<先見の明といえば>
<光圀は 水戸領内に名物をつくり積極的にPRした>
<奨励した名物は>
<納豆 鮭 牧場牛乳など数知れず>
<そして水戸の海の名物が これ>
光圀公も愛した 鮟鱇です
鮟鱇は
江戸城への献上品でもありました
全体の皮を…
<深海魚の鮟鱇は 江戸時代には>
<たまに網にかかる程度の
貴重な高級魚>
<吊るし切りなど
独特のさばき方や調理方法は>
<水戸領内で
工夫されたものだという>
ああ~

(武士)漁師さんが船の上でまな板だと やりづらいので→
で 吊るして切った
400年ぐらいの歴史はあると思います
そうですか
<鮟鱇の肝から出る水分だけでスープを作る「どぶ汁」は>
<鹿島灘の漁師が
船の上で作ったのが始まりだ>
<手慣れた人でなければ難しい
幻の鍋とも言われてるんですよ>
ああ~ いい香り 濃厚ですね
うわ~
バターが入ってるかのような
鮟鱇といえばのこのプルプルのコラーゲンの部分
歯がはじかれるぐらい
プリップリですね
光圀公 もしかしたら
ツルッツルだったかもしれないですね
<光圀は 食べ物だけでなく
景勝地を宣伝し>
<観光客を集めようとする
水戸の宣伝マンでもあった>
<例えば 水郷の花嫁道中で有名な
潮来は>
<光圀が名を改め>
<あやめの歌を自ら作って>
<全国に
その美しさを広めたという>
<一方
全国で見つけた面白いものは>
<水戸領地でも

積極的に取り入れ>
<栽培の研究をさせた>
<こちら 長崎名物の仏手柑です>
<不思議な形をした
ミカンの仲間[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
<気候のいい潮来で栽培し>
<砂糖漬けにして食べたそうです>
<光圀公が 諸国漫遊をしながら
土地土地の名物を味わうイメージは>
<これらのエピソードから>
<創作されたものなのかもしれません>
<ところで 水戸黄門の印籠が
実在するとのことですが>
こちらの印籠が 映画やドラマの
モデルになったものだそうです
よく見ると 5つに分かれてますね
何が入ってたんでしょうか?
<印籠は もともと
旅の気付け薬など>
<小さなものを入れる容器だが>
<これは儀礼用の装飾品だという>
<では 印籠にも描かれた
葵の御紋からクエスチョン>
徳川家の葵の御紋に
葉が似ているとして
徳川家康が門外不出にした
作物があります
その作物 栽培発祥は静岡ですが
将軍に献上されたのちに各地で広まり
光圀公も 水戸での栽培を

奨励したというのですが
では その作物とは
一体何でしょうか?
はい
家庭菜園とかでもできる作物?
ああ~ やっぱりですね
どっちかというと やっぱり山間部
山間部… 山?
そしてやっぱり水がキレイな所という感じでは…
お好きですか?ええ とてもいい感じだと思います
いい感じって…いい感じの食べ物?
はい 竹内さん
答えは何ですか?ヒント聞けよ
ヒント聞く時間だろ
このコントうっかりしすぎだろ
うっかり八兵衛しすぎるよすいません
今週も パーフェクトが出ますとテレビをご覧の皆様に 抽選で
満足が見える旅へ
海外旅行のLOOK JTBで行く
神秘の世界遺産
アンコール遺跡群を満喫
カンボジア5日間の旅を
プレゼントいたします
これは自信がある
ホントに?
任せるよ ちょっと
うん
いくか おおっ だいぶ自信ある?
だいぶ自信があるおおっ
第1問の皆さんの答え

こうなりました
さあ まずカミナリのお二人
茨城観光大使でいらっしゃいますので
間違うわけにはいかない
わあ プレッシャー
わさびですか?
(竹内)わさびです
はずすわけに いきません
でも だいぶ自信満々なんすよホントに
お一人だけ漢字で
はっきりと書いてくださって
皆さんと違って
漢字で書かせていただきました
ポイント一緒ですから
僕ね その…
「わさびって こんな字書くんだ」
って思ったことがあって
まさに葵の紋の 葵って字が
入ってるなと思ったんですよ
はいはいはい 正解こちらです
<正解は 茨城の山間部を分け入った所にあります>
<美しい清流の湧く場所でだけ
栽培できるという>
<その植物とは…>
確かに こちら
葵の紋のようにも見えますね
この作物は何ですか?
はい これは わさびでーす
あっ あ~っ!
確かに わさびですね

<わさびを漢字で書くとこのとおり>
<光圀は ここ奥久慈での栽培を>
<奨励した>
<当時 わさびは すって
ソバや刺身などに添えられたり>
<葉や茎を
おひたしにしたりしたという>
歯応えもあって…
あっ ちょっと苦い
ちょっと苦いけど(戸辺)このままでは ちょっとね
辛いじゃないですか(戸辺)辛いですよ
<わさびが
寿司の薬味となったのは>
<光圀の時代から100年以上あとの
文化文政時代>
<この頃 初めて
わさびをつけた握り寿司が>
<町人の間でブームになった>
正解はもちろんわさびでよかったんですね
はい ということで全員正解でした
スーパーヒトシ君の正解の方が3人いらっしゃいました
これは
茨城観光大使のお二人にですね
恥をかかせるわけには
いきませんので
1問目は思いっきり
ハードルを下げて
皆さんに挑戦していただきました
そうだったんすか?
相当ね ビックリしたぐらい

難しかった
やっぱり 結構 地元では
召し上がりますか? わさび
わさびはですね 僕んち
実家が お魚屋さんやってるので→
わさびは常に
家庭にあったんですけども
うちのわさびはですね
粉末状のわさびをね
(真)練ってるやつ?水に溶いて混ぜるやつなので
さあ このあとはですね光圀公が生涯をかけて取り組んだ
大事業の舞台裏に迫ります
<光圀30歳の 1657年>
<振り袖火事として有名な
明暦の大火が起き>
<江戸は焼け野原となった>
<大火を目の当たりにした光圀はこの年>
<自らの生涯ばかりか
子々孫々へと引き継ぐ大事業に>
<着手する>
<光圀公から150年後の藩主斉昭公がつくった>
<日本最大の藩校
水戸弘道館を訪ねました>
こちら 光圀公が編纂した
「大日本史」の一部だそうです
<歴史書「大日本史」は>
<何と 完成までに250年もの歳月を費やした>
<目録を加えると402巻>
<日本では最も大規模な歴史書だ>
<初代の神武天皇から

100代の後小松天皇まで>
<紀伝体で記録されている>
この「大日本史」 どうして光圀公は始められたんですか?
まあ 一つ二つというんではなくて
色んな理由があると思うんですけど→
ちょうど明暦の大火っていうのが
起こったんですね 江戸でね
どこで 大きな火事があって
大事な歴史の史料がなくなってしまう
ということが
起こりうるわけですからね
そういうことのために
今のうちに編集して
史料を集めておこうと
<「大日本史」の研究施設は彰考館と名付けられた>
彰考館というのは
過去を明らかにして
将来を考える
という意味なんですね
戦国時代が終わって
ようやく安定した社会ができた
そういうときには やっぱり
日本とは何ぞや
日本の歴史を もう一回
振り返ってみることによって
新しい日本をつくっていこう
<江戸時代太平の世となり>
<庶民の間では
平家物語や義経伝説が大人気>
<一方 歴史家の間でも>

<義経が死なずに北海道まで逃げ延びた説が>
<真剣に議論された>
<「大日本史」では義経の謎について>
<膨大な史料を元に
実証的な推論をしています>
そういう説があります と
これは「東鑑」という書物からとっています→
「源平盛衰記」
「八坂本平家物語」を参照す と
<さらに 光圀は巨大な船を造り>
<当時 外国とみなされていた蝦夷地・北海道に臣下を送って>
<義経伝説の可否を調査させた>
(鈴木)北海道の人は義経を大変尊敬して→
神とあがめている と
そういうことを考えると→
全く
衣川で死んだということを→
100%信じるわけにもいかない
はあ じゃあ ちゃんとこう証明を書き記したり
考察も加えられてたりとか
そうそう
自分は 歴史の大きな流れの中の
一点であるということを
光圀は 強く意識していたと
僕は思うので→
あくまでこれは
決定版なのではなくて→
将来の もっと素晴らしい歴史家が出てきたときの→
準備のためだ ということを言ってるわけですから→
そういうためにも

出典や考証の手順を示しておく と
後世の人のためにね
始まりの始まりをつくってくれた方のような気もしてきますね
まあ そうですね
<助さん 格さんのモデルは>
<光圀に代わって全国を調査する
優秀な学者だった>
<佐々宗淳 介三郎が
ナンパな助さん>
<安積澹泊 覚兵衛が
生真面目な格さんになったという>
<一方 光圀が遠出したのは
鎌倉くらい>
<しかも その旅の記録は
ちゃっかり出版しています>
こちら 開きますと
地図になっています
<本の冒頭は
鎌倉の名所が描かれた詳しい地図>
<そのあとのページは
名所の見取り図や>
<歴史 見どころが紹介されている>
<それにしても>
<位置関係がよく分かる
正確な地図です>
<この鎌倉ガイドブックは
明治時代までロングセラーとなりました>
<こちらも
光圀公が編纂した>
<いわば 有名人のサイン集>

<光圀公は 「大日本史」という偉業を成し遂げた歴史家であり>
<江戸の出版界の
名プロデューサーでもあったんですね>
<光圀が藩主の水戸徳川家に>
<長い間 保管されてきた謎の絵図がある>
<その名も「祇園精舎図」>
こちらの図は 水戸徳川家に長い間 保管されてきた
「祇園精舎図」です
こちらの説明によれば
三代将軍・家光公が
長崎の通訳・嶋野兼了に命じて
現地を調査させたもの とあります
<祇園精舎の鐘の声>
<祇園精舎は インドに実在する
仏教の聖地なのですが>
実は インドの他に
この図と ぴったり重なる有名な遺跡がありました
<それは意外なことに…>
見えてきました~!アンコールワットで~す
カンボジアにやって来ました
これはすご~い
<何と
「祇園精舎図」に描かれているのは>
<このアンコールワット遺跡だと
いうのです>
これだ~
<明治末期建築史家・伊東忠太によって>
<「祇園精舎図」は 現存する最古の
アンコールワットの見取り図であると>
<確定された>

<アンコールワットは ヒンズー教寺院として12世紀前半に建立されました>
こちら?そうです→
アンコールワットを建立された王様ですね→
日傘の数が いっぱいありますね→
昔は この日傘の数が多いほど→
位が高いということを
表してました
王様は神様のようなものですね
<政権が変わり 数百年忘れ去られていたアンコールワットは>
<16世紀中頃に再発見され>
<仏教寺院へと改修された>
<時は大航海時代>
<海外からも多くの参拝客が訪れたという>
<その中には
何と日本人も含まれていました>
<その痕跡が アンコールワットの
柱に残されています>
こちらは日本から来た侍が書いた
落書きです
これですか?
「日本」 読めますね
「日本」って
何となく
日本から来たんだ
あと こちらのほうは→
「右」ですね「右近」と
はあ~
ホントに日本の侍が
ここに来てたんですね
<20世紀に ポルポト派によって

黒く塗りつぶされたが>
<落書きの内容は…>
<寛永9年 1632年 正月に初めて来た>
<生まれは日本>
<肥州長崎の森本右近太夫一房>
<はるばる千里の海を越えて来た>
<一念を念じ浮世の思いを清めるために>
<仏像四体を奉納する>
侍の格好をしてみました
暑い!
<戦国から江戸時代初期にかけて>
<カンボジアは
南天竺と呼ばれ>
<朱印船貿易のための
日本人村もあった>
<多くの日本人は
アンコールワットが祇園精舎だと信じ>
<心の平安を求める侍が
多数参拝していたという>
お坊さんがいたり
こう 侍がいたり
色んな国の方が いらっしゃるので
侍の格好をしてても あまり目立たないような気がします
<400年前も
アンコールワットには>
<様々な国の
様々な文化を持つ人達が>
<集まっていたんですね>
<しかし 水戸徳川家伝来の「祇園精舎図」は>
<一体誰が

何の目的で描き>
<そして
なぜ水戸で保管されたのか?>
<その謎を解くヒントを>
<上智大学 石澤良昭先生にうかがいます>
よろしく はい お願いします
<石澤先生は 半世紀にわたって>
<カンボジアの遺跡調査や
保護活動に従事し>
<東南アジア史研究の立場から
「祇園精舎図」の謎も推察してきた>
そっくりですよ 同じですよ
<図の作者は正確な測量技術を持つ人物だと>
<先生は言います>
描いたのは誰なんですか?いや これは
分からないですね 本当のところは分からない?
森本右近太夫ですけれどもあの方が描いた可能性が
あるということ…
まあ 一つの可能性を
考えてるんですけれど
なぜならば→
非常に この祇園精舎の絵図が
正確なんですね
彼は そういう建築…
お城を造るとか
心得というか そういうのを
やったことがあるか
あるいは よく知ってたか
はい
江戸時代 築城も侍の仕事でした

このように 歩幅で測って
正確な見取り図を
作っていたといいます
<「祇園精舎図」には
現在はない 木の橋なども描かれ>
<当時を知る
貴重な資料ともなっている>
<石澤先生は 森本右近太夫は
築城 ひいては測量の技術があり>
<渡航の記念に図を描いたと
推測する>
<しかし 森本右近太夫が
帰国したときには>
<日本は鎖国となっていた>
<彼は海外渡航が気付かれないよう>
<蟄居隠棲を強いられたという>
細川家の侍帳に
森本右近太夫は
欠番になってるんですね→
小さなことですけどね
重要なことですよね
人ひとりが消されるというのは→
ですけど 消した理由は→
ここまでつながって
詮索されると→
森本家は
侍やめなきゃいけないですよね
気持ちとしては 危機的な状況に
あったと思いますね
<では最大の謎>

<なぜ長崎の侍が描いた図が水戸藩にあるのでしょう?>
(石澤)まあ一つは 水戸光圀が
「大日本史」を編纂するので
各藩に その お願いしてですね
そして そういう古い書物とか書き物を集めたという
一つは そういうことで
水戸藩にあるのではないかと
<水戸藩は 彰考館 弘道館と>
<様々な分野の学者が集う>
<アカデミー研究機関としての
役割も担っていた>
<「祇園精舎図」は
その研究材料だった可能性が高い>
<図の説明部分には>
<長崎の通訳が現地で描き二度の模写を経て>
<光圀の死後にもたらされた
とある>
<しかし>
(石澤)大通詞嶋野兼了という人とか→
藤原なにがし という人とか→
実在しないんですね
どの藩にいて 何をやって
長崎通詞で何かやってたとか
そういうのを調べたんですけども
出ておらない
<この説明書きも やはり>
<ご禁制のものを所有するための偽の情報なのか?>
<謎は さらに深まる>
もしかしたら光圀公も この絵図を見た可能性はあるんでしょうか?
ある あると思いますね

もちろん これこそ祇園精舎だと→
実感したんじゃ
ないでしょうかね→
鎖国したとは言いながら
ポルトガルの船も来たし→
イスパニアの船も来たし
オランダの船も来たし→
ですから「大日本史」編纂も
ある程度 アジアの情勢ヨーロッパの情勢を頭に置きながら→
日本の中の固めをやる
そういう点では 水戸光圀は
大変[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]
<それでは 「大日本史」編纂のため>
<大量に必要になったものから
クエスチョン>
<それは そう 紙です>
<光圀は山間部での紙の生産を奨励し>
<専売とした>
<西ノ内和紙の作り方は当時と 全く同じ>
<その特徴は
原料の那須コウゾにあるという>
繊維が細かくて 短くて
細いんです→
紙にしたときに
きめの細かい紙ができるんですね
<特産のコウゾと
トロロアオイを混ぜて>
<流しすきで作ると>
<強じんで 保存に適した紙ができるのだ>
<まさしく 編纂に250年かかった

「大日本史」に>
<ふさわしい紙なのです>
この西ノ内和紙「大日本史」だけでなく
江戸でも人気でした
主に 商家の台帳として使われたのですが
西ノ内和紙が
丈夫で保存がきくだけでなく
ある特徴があるために
重宝されました
では その特徴とは
一体何でしょうか?
ヒントっていうより
確認なんですけど
これ 茨城大使の僕達に気を使ってレベルが低い問題ではないですね
これは一般的なレベルになってます
だから
最悪はずれても大丈夫ですよね
もう はずれること考えてんの?
怖いですよ だって茨城大使なんですから
3択だけは 唯一
俺 確率高いのよ ホントに
じゃ 信じていいですか?
[外:C06A278CFFC82DDC67709E5E9577F148]って言われてるからホントに
逆言えば それしか
当てられないってことですね
選択肢がないと
ガクッ
さあ 第2問の皆さんの答えは
こんな形になっています
あら~(真)よかったね カミナリくん

たぶん これ はずれる可能性…うわ~
真ん中 ヤバイね 真ん中(石田)ヤバイぞ これ
得意だって言ったじゃん 3択は大丈夫
さあ黒柳さん
「水に強く文字がにじみにくい」
火事やなんかなったとき
水が出たりなんかしたときに
はあ~ なるほど
(黒柳)水に強いってことは
例えば これが流された場合でも
文字が残っているっていうことでやっぱ 証拠になるということで
色んなことから 商売からいうと
やっぱり1番がいいかな
はい さあ
カミナリのお二人ですけども
日本で今 リサイクルって
当たり前じゃないですか
ここから来てんのかな みたいな
ことも思ったりしたんすけど
隣の真さんと一緒だったので
これはどうなのかな と
急に
自信は なくなってきましたけど
正解は こちらです
<それでは正解です>
(菊池)昔は
お金の決済っていうのは→
お盆と正月前しか
しなかったんで→
あとは全部 ツケなんですね

そのために長いひも付けといて
火事になったら
水の中 投げ込んじゃって→
引き上げて乾かせば
元どおりに使える
井戸の水に漬かっても
また使えるんですか?
(菊池)そういうことです
<にわかに信じがたいので実験です>
わっ
字が全然 染みない
<濡れても 文字がにじみません>
(菊池)あとで乾かせばねもとのまま使える
<西ノ内和紙は
その丈夫さを買われ>
<明治から大正にかけて>
<記名性の投票用紙にもなった>
正解は1番でよかったんです
4人の方が正解
3番を取った方は 残念ながら
ボッシュートになります
これ でも すごいわ
(東)すごい
(鈴木)すごかったですこれを機会に ぜひですね
西ノ内和紙を全国で色々 ねっ宣伝して やっていただきたい
我々の役目かなと思いました(東)間違えたじゃん
そうなんです 間違えたホント不安が的中したんすよ
おめえ 何が3択王子だ
おいっ!何が3択王子だ
やっぱり はずれてんじゃないすか

真さんは まだ1人だからいいけど2人で考えて間違えてる
岩下さん 「大日本史」を編纂した
光圀公の意欲
伝統文化を評論する立場から
やっぱり 共感できるものはすごくありますよね
そうですね 国学も神道も
何もかも奨励したわけですから→
王政復古で
幕末維新のとき 勤王の志士達が
水戸光圀が芽生えさせた水戸学を
思いながら
政治的な運動を
起こしたわけですから
大変な力のあった方だと思います
さて光圀公は 日本初の考古学者でもあったんですね
では一体 何をどのように
発掘調査をしていたんでしょうか
ご覧ください
ラストミステリー ふしぎ発見!
<水戸市では
明治150年を記念して>
<昨年より
大々的な発掘調査が行われている>
<ここ 台渡里官衙遺跡群は>
<かつて 源八幡太郎義家が立ち寄り>
<豪農にあつくもてなされた
という伝説があることから>
<光圀の時代から
注目されていた場所だ>
これは…

何だったものなんですか?
(米川)飛鳥時代から
奈良 平安時代にかけて→
7世紀の後半から
9世紀ぐらいまでの→
お寺の跡なんです
<光圀は33歳のとき>
<この地域から出土した古代の瓦を硯にし>
<幕府に献上した>
<郷土の文化財を守っていきたい
という思いからだ>
郷土の歴史というのを やはり
光圀の意識が高かったというのも当然ありますが→
ひもとこう というものが→
水戸藩の中であった証拠だと思います
<発掘調査員は リタイアした会社員や
主婦など ベテラン揃い>
<彼らの郷土愛も
負けてはいません>
光圀公は お好きですか?もちろんね
郷土の偉人ですしね 大好きですよ
実際は ものすごくね
アカデミックな人だったんですよね
<この遺跡は 発掘調査ののち>
<砂と土をかけて埋め戻した>
<その現状保護の手法は>
<400年前の光圀の発掘調査と何ら変わらないという>
光圀が実施した調査というのも→
出土した遺物ですねそれの記録を取って→
きちんと箱に入れて埋め戻して

そこには報告書も一緒に入ってたということですので
本当に基礎の ベースとなることを
体現している調査だと思います
光圀公は 日本初の考古学者だと
思われますか?
はい もちろんです
偉大な先輩ですから
<では[外:6F03A512FAAD6B4DC4B66DA4818CF6EB]>
<改めて見ていきましょう>
<それは
一つの報告書から始まった>
<那須の野原に捨て置かれていた
石碑に>
<飛鳥時代の出来事が
刻まれている と>
<光圀のもとへ
知らせが来たのだ>
こちらに
<その石碑は 現在神社のご神体となっています>
<国宝 那須国造碑>
<照明を当てると>
わあ~
古代の文字がくっきりと浮かび上がりましたね
(伊藤)これは 水戸光圀様
黄門様がですね
この碑より古い碑は日本にない
ということをおっしゃってね→
そして 碑堂 本殿が
建ったわけでございます→
そして ここに安置されたんですね

<石碑に刻まれた内容は>
<この地に住む
直韋提という人物が>
<朝廷の命により
西暦689年>
<当時の官職である国造から>
<評督という役職に変わったことが書かれ>
<当時 朝廷の力が 関東にまで
及んでいたことが分かる>
つまり 中央集権国家に向かう
ということが分かると
言われてんですね
<光圀は石碑の内容をさらに知ろうと>
<近辺にある古墳の調査を
命じる>
<その古墳が
ここ下侍塚古墳です>
何か小山に 松
ここが古墳だとは思えません
<記録によれば
この古墳の発掘調査からは>
<鏡や 壺などの陶器 刀など>
<様々な遺物が発見された>
<しかし光圀は これらを箱に入れ>
<再び埋め戻したという>
<光圀の指示が
介さんの書簡に残っています>
初めから もう細かく
書いてあるんですね
はい 散逸しないように→

松の板か 杉の板で作った箱
これに入れまして埋めなさい
というふうに書いてあります→
修理をした印に
周りに小さい松を植えなさい→
っていうことが書いてあります
<光圀公は今からおよそ400年前に>
<すでに 現状保存の精神を
実践していました>
<それは当時 世界でも珍しい
先進的な考え方でしたが>
<光圀に異を唱える人は
いませんでした>
その後に発掘した方は
いるんですか?
いないんですいないんですか!
記録だけなんですねうわ~
じゃあ当時の その物を見たのも
いないんですね
はあ~
おそるべしですなあ
<地域の人々は 代々
松の世話など>
<古墳を守り続けてきた>
(平野)楽しみながら 生き甲斐を侍塚に求めて やってますんで
<日本初の考古学者・光圀の教えは>
<現代にも生き続けているのです>
1700年 水戸光圀公は
ここ西山御殿で73年の生涯を終えました
しかし その後も

「大日本史」の編纂は続けられ
編纂開始から250年後の
明治39年に完成したのです
<光圀公は 亡くなる直前まで>
<こうやって庭を眺めながら>
<「大日本史」の校正を
していたといいます>
<彰往考来>
<過去に学び 未来を見つめた徳川光圀>
<彼は 歴史の流れを
後世に委ねました>
その光圀の気持ちを受け継いで
それをバトンタッチしながら
後世の研究者達が
きちんとつなげていって
今「大日本史」がありますので
僕達自身も→
光圀が 侍塚の調査成果を
残してくれたように
後世に残して 還元して
いかなければならないと思います
<それでは そんな水戸で
20世紀に誕生したものからクエスチョン>
牧場を開き 牛乳を飲んでいた
光圀公ですが
実は ここ水戸で
牛乳瓶のフタを使ったあるものが誕生しました
当初は 病院の入院患者の
リハビリのため考案されましたが
今は世界大会も開かれる

その あるものとは一体何でしょうか?
やったことあるようなもんですかもちろん
大抵の方は やったことがあるという体験をお持ちだと思います
これって 結構アクティブな
競技なんですか?
単純に体だけではなくて
頭脳も使いますので
そういう意味ではアクティブと言ってもいいかもしれない
一番得意そうな人って誰ですか?
この中で
東MAXかな?
まあ 頭使うからね
(真)体も使うんだって
最後の問題の皆さんの答え
開けます
(東)めんこ?
スーパーヒトシ君で めんこだって
ちょっと! あら~
めんこの世界大会ってのはあるんですか?
これがね 意外とね
徐々に広がってきてですね
全世界でね
ものすごく熱い戦いというかね
東MAX オセロですかね
すいません 英語で書いちゃって
僕ね アプリで
オセロをダウンロードしてあるんですね
で 電車の中で
暇なとき やるんですけど
東MAXが頭使って 一番強そうだ

って言ってたじゃないですか
僕 レベル100で勝てるんです
おお~
じゃあ今度 世界大会に
行っちゃう… いや行かないけど
これで めんこでないことだけは
間違いないですね
では 正解は
CMのあと ご紹介いたします
<来週の「世界ふしぎ発見!」は>
<アフリカ 灼熱の三角地帯に汗だくで迫る>
<地上で最もアツイ場所は
一体どれだけアツイのか?>
止まることなく ずっと
プツプツプツプツッと
<そこで待っていた
地獄のような光景とは>
<それでは正解です>
正解のものこちらの会場で行われています
やってますね~
<20世紀に水戸で誕生したものとは?>
真剣
ということで正解はオセロでした
オセロゲームの誕生のいきさつを
教えていただけますか?
はい オセロはですね1945年に
水戸出身の長谷川五郎さんという方が
初めてつくったゲームですね
こちらの牛乳瓶のフタを使ってやったそうです
黒く塗りつぶして

4枚重ねぐらいで使ったそうです
でも確かに オセロのサイズと同じですね
(和泉)全く同じに作ってあります直径が3センチになってます
実は平成生まれの私としては
この牛乳瓶のフタを見るのも
初めてですあっ そうですね
<オセロとは 英文学者である長谷川さんのお父さんが>
<シェークスピアの戯曲
「オセロー」から名付けた>
完敗です ハハハ
正解は オセロでよかったんですね
真君だけ
ボッシュートになります
さあ 今晩のトップ賞は?
今夜は何と 4人の皆さんがパーフェクトを達成されました
黒柳さん 岩下さん 鈴木さん
そして東さんです
おめでとうございま~す
おめでとうございます~おめでとうございます
岩下さんも おめでとうございます
トップ賞の皆さんには こちらです
[外:C06A278CFFC82DDC67709E5E9577F148]を差し上げます
おめでとうございます
最高~
さあ黒柳さん
ご自分が楽しかったんだと思う
お調べになることがね→
だから もっと長生きなすったら
もっと違うことも
お始めになったかもしれないと

思いますけど
まあ随分 お偉い方が
いらっしゃるんだなと思って
ホントに感動します
はい
竹内さん どうでした?
そうですね 僕 実は
たくみ君に さっきの解答
任せてよかったなと思ったんです
僕 最初 めんこだと思ってました
危ねえな おい 危なっ
危なっ ホントに
さあ そろそろお別れの時間です
ではまた来週
ふしぎの世界でお会いします
さようなら
さようなら
<皆さん パーフェクトおめでとう>
<抽選で3名様に光圀公も愛した あんこう鍋を>
<1組2名様に カンボジア5日間の旅を>
<プレゼントいたします>
2018/06/23(土) 21:00〜21:54
MBS毎日放送
世界ふしぎ発見!【自分の道をふみしめて 日本初の考古学者 水戸光圀の謎】[字]

水戸黄門でおなじみの徳川光圀。幕府の中枢にいながら、グルメで健康オタク、観光大使でもあり、さらには考古学者だった?水戸徳川家伝来の謎の絵図を追ってカンボジアへ!

詳細情報
出演者
【司会】
草野仁
【MCアシスタント】
出水麻衣(TBSアナウンサー)
【解答者】
黒柳徹子 野々村真 岩下尚史 東貴博 鈴木ちなみ カミナリ
【ミステリーハンター】
大杉亜依里
おしらせ
プレゼントの応募は、電話とHPから。抽選で豪華賞品とクリスタルヒトシ君が当たります。全問正解者が出た場合のみ、海外旅行プレゼントもあります。
公式ページ
◇番組HP
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/
制作
テレビマンユニオン
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。


ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
バラエティ – クイズ
福祉 – 文字(字幕)