2018/08/11(土) 21:00〜21:50 NHKスペシャル「祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜」[字]

「鶴瓶の家族に乾杯海外スペシャル オランダ編」。
<皆さん こんばんは。→
NHKアナウンサーの小野文惠です。→
私事ですが 実は 私には
会った事のない祖父がいます>
<太平洋戦争中 フィリピンで
34歳で戦死しました。→
でも
遺骨も戻ってきていませんし→
その最期も よく分かりません>
<いつどのように亡くなったのか。→
私たちの家族にとって
大きな謎でした>
小野景一郎が
送られたのは→
日本とアメリカの
激戦地となった→
フィリピン ルソン島。
8か月に及ぶ戦いで戦死者は…
太平洋戦争最大の犠牲者を出した。
しかし部隊の全滅も 相次いだため→
いつ どこで亡くなったのか→
正確に分かっていない兵士が少なくない。
今回 アメリカで
ルソン島の戦いに関する→
極秘資料が見つかった。
アメリカ軍が 日本兵の遺体を一体一体 数え上げていた記録だ。
そのデータを基に→
日本軍20万人がいつ どこで 命を落としたのか→
初めて可視化した。


<祖父 景一郎に直接つながる資料も→
新たに見つかりました>
<同じ部隊の下士官が→
戦地から ひそかに持ち帰った
日誌です>
<そこには 景一郎の最期を知る
手がかりが記されていました>
あっ 初めまして。
<そして ルソン島の戦場から生きて帰った元兵士に→
その過酷な体験を
聞いて回りました>
<祖父は 戦場で何を見たのか。→
そしてどんな最期を遂げたのか。→
私は 母と共に
ルソン島へ向かいました>
ルソン島で
祖父 景一郎の足跡をたどった→
文惠と 母 公子。
一人の兵士の死から見えてきた絶望の戦場の記録だ。
♪♪~
(鈴の音)
<私 小野文惠の祖父 景一郎。→
私にとっては実家にある遺影の中の人です>
<もともと
材木会社に勤めていた景一郎。→
32歳で兵隊にとられ→
1944年 ルソン島に送られました>
<母 公子は 当時 まだ2歳。→
別れた父親の姿をずっと追い求めてきました>
お~ 取ってあったん?


うん 取ってあるよ。
「公子ちゃん」…
お母さん宛てなんだ。
「元気ですか。
いい子していますか。→
元気で早く大きくなって→
手紙を書いて下さい」。
<僅か34歳で 人生を絶たれた
景一郎。→
実は
2つの死の記録があります。→
国が発行した死亡告知書。→
死亡日は 1945年8月20日。→
死因は 胸部貫通銃創。→
場所はツマウイニとされています。→
もう一つが 広島県に残っていた
死亡者連名簿。→
場所と死因は同じですが→
死亡日は6月20日となっています。→
実際は どうだったのでしょうか>
<私が 今 受け継がなければ手遅れになる。→
そう思いました。→
母は 今年で 77歳。→
ルソン島で親を亡くした
ほかの遺族たちも→
高齢化しているからです>
<しかし 景一郎が所属した部隊の生還兵で→
話を聞ける人は もういません>
<そうした中 貴重な手がかりが見つかりました>
私も あの… バラバラに…

よう分からんのですがね。
すごい これ。
<景一郎と同じ部隊の下士官がつけていた日誌です>
これ 祖父? 小野景一郎って…。
<その中には 確かに小野の名前もありました>
<これを記録した下士官は→
アメリカ軍の捕虜となってからもひそかに隠し持っていたそうです>
<日誌には
ルソン島の戦いにおける→
部隊の日々の動きが