この鉛筆削りが。
◆新たな市場を求め、
飛び出した海外でしたが、
最初は見向きもされず。
そんなとき、1人のバイヤーに言われたのが
「いいものというだけでは売れな
い」
という事実。
それがいかにいいものなのかを伝える努力をして、
初めて買ってもらえるようになる。
そこから中島さんは
展示会でのディスプレイなどにも
徹底的にこだわり
鉛筆削りのよさを伝えようとして
きたのです。
◆何だろう。
見方…、
◆伝え方。
◆鉛筆削り器
一つにしても、
日本の技術の血漿みたいなところありますもんね。
◆単純なものなんですけど、
ちゃんと我々一生懸命つくりこん
でるわけですよ。
そのつくり込んでるものをちゃん
と見てほしいと。
◆ちょっと変わりました、
自分の今までの鉛筆削りへの考え
方が。
◆ここで問題!
◆この後、さらに鉛筆削りの考え方を変える出来事が。
それは一体?
◆ここの中島重久堂さんは、
1933年から
中島さんのおじいさんが始めた
鉛筆削り、本当に一つ…。
◆正道会館の角ちゃんの弟さん?
◆雰囲気はね…。
◆似てるなあ~!
◆絶対そうじゃないですか。
◆違います。
中島さんです。
中島さんなんですけれども、
会社では、鉛筆削りの中の
刃物から製造から
外部分の
プラスチックの成形まで全部…。◆昔から全然変わらない。
すごいけどね。
◆使ってるのと一緒ですもん。
◆これはすごい。
完成品なんだろうね。
◆今は、VTRにもあったように、海外にもアプローチして
フランスとかにも出展しているんですけれども、
本当に、
中島さんとお話ししてて、考え方が変わったんですよ、
僕も鉛筆削りの。
でも、
またさらに考え方を変える出来事
が…。
あったんですけれども…。
さらにかわりました。
◆変わる前のことを知ってるの?
◆変わったんですけれども、円さん、いかがですか。
◆完成品だから、これ以上のもの
はないと思うんですよ。
これをさらに変えるということは、これ、ちょっとね、
宇治原君もいますから、ちょっと僕、
知的なこと、言ってもいいですか
?
だから、考え方、
鉛筆削りの芯の回りを
カツオ節にしたんじゃないですか。
削ったときに、
食べることもできるし。
◆ええやん!
◆マネせんといてや。
受験勉強なんかでこうやってるときに、ちょっとおなかすいたとき
に、ぺろぺろって、どうでしょう
か。
◆すごくいいですけど、
知的ではなかったです。
すごくよかったですけど…。
◆ではなかったって、
あほやという意味やろ。
◆はい。
◆“はい”や、あらへんがな!
◆いい答えでしたよ。間違いではあるんですけど、
間違いだけど、いい答えです。
菅さん、
いかがですか。
◆もったいない精神やと思うんですよね。
覚えてましたから。
ということですよね。
考え方を変えるわけでしょ?
だから、もともと鉛筆削りが
鉛筆がどんどんなくなっていくじ
ゃないですか。
だから、鉛筆削り自体が
消えていくんじゃないですか。
鉛筆削り自体がなくなっていく。