2018/08/13(月) 22:00〜22:45 NHKスペシャル「船乗りたちの戦争〜海に消えた6万人の命〜」[字]
こんにちは。こんにちは。
小倉茂敏さんです。
父親が 鬼怒川丸の船員でした。
報告書をしたためた
父 津太一さん。
奇跡的に ガダルカナル島から
生還しました。
島でつづったメモをもとに
軍に提出したのが→
この報告書です。
「一同 何の言葉もなく→
ひたすら
英霊の冥福を祈り続けたり」。
鬼怒川丸の輸送船団が
島に近づいた時→
周辺の海域や上空は
既に アメリカ軍であふれ→
激しい攻撃にさらされました。
11隻のうち 6隻が沈没。
1隻が 航行不能となりました。
残る鬼怒川丸など4隻は→
深夜 島の浜辺に座礁させる
強行上陸を軍に命じられます。
上陸時の攻撃で 12人が亡くなり→
生き残った船員たちは密林地帯に逃れました。
そこには 飢えと疲労に苦しむ
日本兵がいました。
鬼怒川丸と同じ船団にいた…
海運会社で働く25歳の機関士でした。
仲治郎さんは
「また帰ってくる」と言って→
戦地に向かいました。
仲治郎さんは ガダルカナルで亡くなっていました。
その事を知ったのは 家を出てから
1年余りたった日の事でした。
島から生きて帰った
船員仲間から→
仲治郎さんの最期の様子を
聞かされました。
でもね とっても…
石井さんは 毎日 仲治郎さんが食べる事のできなかった→
ごはんをお供えしています。
ガダルカナル島の戦い以降も敗北を続け→
制海権を失っていく日本軍。
民間船の被害は更に拡大します。
沈没地点が特定された船の
およそ半数 1,177隻が→
開戦から2年半余りの間に
沈んでいました。
海軍は 輸送船を護衛する
海防艦の建造を急ぎました。
しかし 量産を優先したため
スピードが遅く→
装備も不十分なものとなりました。
一方 アメリカ軍は→
戦争の当初から
日本の生命線である→
海上輸送の遮断に
目を向けていました。
(爆発音)
潜水艦を増やし魚雷の精度を高めていったのです。
民間の船であっても
軍に徴用された船は→
あくまで軍の一部と見なされ
狙い撃ちされました。
今回の取材で 戦争の末期→
10代半ばの漁師たちが戦場に駆り出され→
悲惨な最期を遂げていた事が
明らかになりました。
熊本・天草の漁師町
牛深町です。
地元出身で
漁業の歴史を調べている…
親戚が戦時中 フィリピンでの
輸送任務に駆り出され→
亡くなっていた事を知り
事実を調べ始めたといいます。
牛深の近海で イワシ漁などを
していた船12隻が→
陸軍の管理下に置かれました。
40トンほどの木造漁船でした。
フィリピンに向かった漁師の
およそ半数が 14歳から18歳。
まだ徴兵の年齢にも満たない
若者たちでした。
その多くが 生きて帰ってくる事は
ありませんでした。
奇跡的に生き延びた人たちも→
戦争中の事について口を閉ざしました。
山下さんは 20年前から→
「少しでも事実を話してくれないか」と→
生存者を訪ね
証言を集めてきました。
戦後70年以上が過ぎ→
証言者のほとんどが亡くなった事から→
今回
初めて公開に踏み切りました。
重い口を開いた一人
漁師の白倉末吉さんです。
12年前に亡くなりました。