コンスタンティヌスにちなんで 名付けられました。
その精神的な支柱が アヤ・ソフィアです。
一方 権力の中心は大聖堂の隣の大宮殿に置かれました。
複数の建物からなる
広大で豪華な大宮殿は→
およそ700年にわたって 東ローマ帝国
つまり ビザンツ帝国皇帝の住まいでした。
道路脇に ひっそりと たたずむ古い壁。
これは かつて栄華を誇ったコンスタンティノープルの宮殿の壁です。
ここは ブコレオン宮殿の跡です。
コンスタンティノープルの数ある宮殿の1つでした。
建設されたのは5世紀。 当時は
ここまで 海が迫っていました。
ここは いわば 海辺に建つ
皇帝一家の夏の住まいだったわけです。
宮殿には 500もの部屋があり
黄金のモザイクに彩られていました。
実際に目にしたら 圧倒されたでしょうが
現在 残っているのは あれだけです。
スコットは 宮殿に向かいます。
ここが かつて どんな場所だったかは想像しないといけません。
堂々たる大広間には 大理石やモザイク
財宝 彫像がふんだんに使われていました。
そして 窓からは 海が…。
圧巻の眺めだったでしょうね。
♪♪~
3Dモデルは ブコレオン宮殿の壮大さを物語ります。
しかも この建物は 数ある宮殿の
1つに過ぎないのです。
ローマ帝国皇帝 コンスタンティヌスが
首都を ローマから ビザンティウム→
後のコンスタンティノープルに
うつしたのは 4世紀のことでした。
コンスタンティヌスは コンスタンティノープルを
ローマをしのぐ街にしようと考えました。
教会や宮殿 公衆浴場 図書館などが
次々に建てられ→
100年も しないうちに 人口は
2万から20万に激増しました。
ローマ人は 皇帝から庶民までが
一堂に会する 公共の場所を造ることに→
たけていました。
ローマのコロッセオのように。
ここ コンスタンティノープルで
そうした役割を果たしたのが→
「ヒッポドローム」と呼ばれる
戦車競技場です。
歴史学者のケリム・アルトゥグは 威容を
誇ったヒッポドロームに精通しています。
この壁は…。
(アルトゥグ)ヒッポドロームの跡です。
ヒッポドロームは 楕円形をしていました。
ここは 曲線の端の部分にあたります。へぇ~! この辺りにも 入り口が?
ええ 見て下さい。
ここに アーチ型の出入り口があったんですが 塞がれています。
今は壁です。
ヒッポドロームは コンスタンティノープルの社会の中心でした。
収容できる観客数は およそ10万人。
ローマのコロッセオの倍です。
現在 競技に使われたトラックは
ほとんど残っていません。
戦車競技が行われていた頃は
どんな様子だったんでしょう?
観客は どの辺りに座り
戦車は どこを走ったんですか?
実は 戦車競技が行われたトラックは→
この広場の道路が走っている場所とほぼ一致していると考えられています。
つまり ここがトラック?
ええ。
戦車が全速力で向かってくる
場所だというわけですね。
それじゃあ よけないと。
そうですね。
人々は ここで声援を送り
叫んでいたわけですね。
そのとおりです。
10万もの人々が…。ええ。
しかも 皇帝も それを見ていたという…。
はい。 他にも あなたにお見せしたい場所があるんです。
どこに向かっているんですか?
これから ヒッポドロームの基礎部分を見に行きます。
ここに入るんですか?
そう。
普通じゃ なかなか入れない場所ですね。
ええ。 行きましょう。 ついてきて下さい。
オーケー。
懐中電灯を持ってくるように言われた意味が分かりましたよ。
はい。
うわ~ すごい!
どうです?
すばらしい。 ここは?
座席の基礎部分です。
観客たちの下にいるということですか?
そのとおりです。
ここでは 一体 何が?
この隠された空間は 監獄や処刑場として
使われていたという説があります。
うわぁ。
この先は?
驚いたな…。