<津波で人口の1割近い→
1200人余りが
犠牲になりました>
<震災から3か月後の
町の中心部です>
<1軒の自転車店が
無残な姿をさらしていました>
<大正時代から4代続く
店のあるじ→
内金崎大祐さん>
<あの日も店で働いていました>
<そこに大きな揺れ>
<すぐにシャッターを閉め→
着の身着のまま
店の軽トラックで高台に避難しました>
<
「横に長い百貨店」といわれ→
人通りが絶えなかった
町の商店街>
<そこにあった
内金崎さんの店舗 兼 住まいは→
あの日
どす黒い津波に のまれました>
<店に代々
受け継がれて来た工具は 職人の命>
やっぱ
いつでも仕事できるように。
<自分に何かできないか?>
<内金崎さんは 避難所を回って→
無料修理を始めます>
<あの工具箱を軽トラックに積んで>
<幸い家族は無事でした>
<震災の翌月 親戚が持つ町内の空き家へ入ることに>
(
一同) いただきます。
(
内金崎さん) じゃあ 乾杯すっか。
(
加代子さん)ご飯茶わんで ハハハ…。
ありがとうございました
。
<入居したのと同じ日→
大槌出身で4歳年上の加代子さんと結婚し→
一緒に暮らし始めました>
<実は 加代子さんおなかに命を宿していました>
<妊娠が分かったのは
津波の前の日のこと>
ウフフ…
。お~!
(
加代子さん) 毎日 大きくなって。
毎日
大きくなって。(内金崎さん) いた いた いた。
(
加代子さん) ウフフ… ホント?
あっ
ここさも。
ほら
めんこい。(加代子さん) フフっ。
<その年の秋>
ウフフ… よかった よかった。
(
内金崎さん) なぁ ホントだいがった。
<一時は
流産も心配されましたが→
無事
双子の男の子が生まれました>
<震災後
町で生まれた初の双子…>
<子供が生まれた2か月後
年の暮れに…>
<自転車店は
ようやくプレハブの仮設商店街で→
営業を再開しました>
<しかし 広さ15坪の店は町の中心部から遠いため→
一日中
客が来ない日もざらです>
<郵便局のバイク整備や
出張修理をして→
何とか暮らしを立てていました>
<だから 町の中心部に戻りたい>
よしっと
。
厳しいからって
じゃあ 何もしないで→
ただただ
厳しいって言ってるんじゃダメなんで→
今できる最大のことは→
やってるつもりなんですけど。
それでも
なかなか… はい。
(スタッフ)
店やめようとは思わない?
<その夢とは→
自転車店とカフェが一体になった→
名付けて
「チャリカフェ」>
<マークは
あの双子の顔と→
自転車の車輪を