2019/05/06(月) 23:50〜00:40 プロフェッショナル 仕事の流儀「王道と革新、2人のカレーSP」[解][字][再]


味や香りを吟味する。
独学でカレー作りを突き詰めてきた植竹。

積み上げた経験をもとに 自分の舌を信じ食材を組み合わせていく。
うわ! ふ~ん…。
植竹には 目指すカレーがある。
菜の花とハーブに だしを加え
ソースにした。
そして 植竹のカレーの要 スパイス。
使うのは菜の花ソースに合わせターメリックやクミンなど→
12種類。
それぞれが持つ味や香りを引き立てるため→
入れるタイミングなどを緻密に計算する。
最後に 菜の花ソースを合わせて仕上げた。
この新作は スパイスカレーの
魅力を伝えるイベントで客に出す。
4日後。
イベントの主催者に試食してもらう。
(植竹)ちょっと この… これ 気持ち…。→
こんな感じで… このぐらい ふっていくとしても 全然おいしかったですよ。
あっ へえ~…


(植竹)おっ よかった~。
評判は上々 このカレーでいくと決まった。
しかし…。
イベントを翌日に控え
植竹は厨房に籠もっていた。
レシピを大幅に変えるという。
むせ返るような春の芽吹き。
その力強さを追求する。
ハーブの種類を更に増やしスパイスの配合も 一からやり直す。
そして 具に使うチキンの下味も
和の菜の花に合うよう→
塩から 塩麹に変えた。
そうですね でもね まあ…
だから ちょっと
何ていうんですかね こう う~ん…。
この20年 植竹は個性を探し求め→
新たなカレーを作っては変えまた一からアイデアを生み出すことを→
自らに課してきた。
また一つ驚きにあふれたカレーが生まれた。
王道カレー 小美濃さんの定休日。
やっぱり この日もお店にいた。
決して焦らず 自分のペースで手を進める。
小美濃さんも かつては競争の世界で しのぎを削っていた。
小美濃さんは 小さい頃から
食べることが大好き。
高校を卒業すると 調理師学校に入学した。
そこで 調理師の本分を知る。
「調理師は 国民の健康を支える」。
教科書の調理師読本に書いてあったこの心得が 胸に残った。
1年間の勉強を終えると

二十歳で大阪の老舗レストランに就職。
本格的な修業が始まった。
しかしそこは実力がものをいう競争の世界。
同僚たちは中学や高校を出て
10代から修業を積んでいた。
小美濃さんは大きく後れをとっていた。
何をしても人より時間がかかり年下からも 容赦なく叱りつけられた。
料理人として生き残るために
ひたすら 腕を磨いた。
そして5年がたった時。
小美濃さんの真面目な仕事ぶりを見ていた先輩が→
シチューやカレーのもととなる
ルー作りを任せてくれた。
洋食レストランにとって 要のルー。
手間と時間のかかる仕事だが夢中になって 鍋に向かい続けた。
小美濃さんは気付いた。
この道こそ 自分が究めるべき道。
34歳で独立。
妻の涼子さんと2人でカレーがメインの洋食店をオープンした。
何となくね。
(小美濃)あ コピー作ったんだっけ。→
そういうのはね みんなやってくれた。
(涼子)コピーをつけて。
あの「調理師は国民の健康を支える」という
心得も忘れなかった。
少しでも体によいものをと 効能ごとに
36種類のスパイスをルーに溶かし込んだ。
手間暇を重ね ただ 食べる人を思う。
♪♪~
なんかあったっけ?

ムカついたこと?≪はい。
いたた いたた。
(笑い声)
この日 植竹は 店のスタッフと
新メニューの打ち合わせ。
ベテラン若手を問わず
共にアイデアを出し合うことにこだわる。
お待たせしました~。
求めるのは自分とは全く違う発想のカレーだ。
スタッフの個性あふれるアイデアを
喜々として 新作カレーに採用した。
(笑い声)
寝ても覚めてもカレー一本槍のカレーばか。
この道を貫くと決めた覚悟の裏には
カレーに救われた 壮絶な人生があった。
植竹さんは 生まれも育ちも大阪。
父が大手雑貨店を経営していたこともあり何不自由なく育った。
料理上手な母の得意料理がカレーだった。
それは 変わった食材やスパイスがふんだんに使われた 独特な味。
家族でそれを味わう時が