2019/12/30(月) 01:30〜02:15 ブラタモリ選「東京・白金〜白金はなぜシロガネーゼの街になった?〜」[解][字]


(笑い声)
そうなんです。
いいんですか?
へえ~。

へえ~。
吉田さんは総理大臣も兼ねていたので→
実質は総理公邸として。ほぉ~。
そいつは知らなかったね。
ここ 吉田 茂が使ってるとは知らなかったな。
ペンキ塗りますからね。


やたらとペンキ塗ってね。
アメリカ人 ペンキ大好きですからね。
いっぱいありますよ。
そのまま残ったってことですよね。
この書斎は 吉田 茂が特にお気に入りだった場所。
その理由とは?
ちょっと こう 振り向いて。
特別に開けちゃいますけど…。
ここにいるとですね…。
そのとおりです!
そのとおり。
公邸として
政府が借りたことで→
戦後 取り壊されることなく
元のままの姿が残ったんですね。
タモリさんがいる旧朝香宮邸の周りには→
自然教育園という広大な緑地が広がっています。
高級住宅地の条件となる 緑。
実は これも失われる危機があったんです。
一体 どんな危機だったんでしょう?
タモリさんが やって来たのは自然教育園の北側。
ここに 広大な緑地の危機をひもとく
ヒントがあるんです。
おっ! これ…
ん?
タモリさんが気付いた
変な場所とは こちら。
短い道路と緑地がある一角です。
これが 自然教育園が失われたかもしれない危機と→
どんな関係があるんでしょう?

ここも不思議で…
下の道はね。
(岡本)そうですね。
(岡本)そのとおり。
首都高速2号目黒線。
高度経済成長 真っただ中の
昭和42年に開通した高速道路です。
タモリさんが気付いたとおり
実は この道路→
もともとの計画では 自然教育園の上を
通そうとしていたんです。
ということは そのルート この先は
どうなる予定だったんでしょう?
こっちへ つながるには
どういうライン?
これを…。 これが
一番いいわけですよね。
このラインが。
そしたら大変ですね これ。大変ですね これ。
おうちの上を。
おうちの上になるんですから。
あるんですか。
ああ~! こっち。大体こうですね。
(笑い声)
さすがにっていう…。さすがにっていうことですね。
自然教育園は 国の天然記念物で
都内では貴重な自然観察の場です。
当時は文部省の管轄でした。
ここに高速道路を通すことを 文部省は反対。
白金の住民も それを後押ししました。

その結果自然教育園の真ん中を通るルートは変更。
緑地の
ギリギリ外側を通すことになったんです。
しかし 変更したルートでも
さらに せめぎ合いがありました。
(岡本)そうなんです。
ああ 歩道 終わってるんだ。
自然教育園の緑。
…が それですね。 緑。
そう。 この行き止まりの歩道こそが
せめぎ合いの痕跡。
もともとは この緑の部分までが→
自然教育園の敷地でした。
しかし 当時の建設省の手で→
この高速道路が通されます。
歩道も通そうとしましたが→
文部省が押し戻し→
このように 行き止まりになったんです。
譲れない。
譲れないと。
そうですね。
(笑い声)
実は この緑が守られてきた理由は→
高速道路のルート変更だけでは
ありません。
さまざまな人の手に渡りながら
奇跡的に守られてきた→
長い歴史があるんです。
じゃあ 自然教育園 行ってみましょうか。
どんなとこか見に行きましょう。