さきの意地でした。
そんな ある日の事…。
奉公人の部屋に [外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山家夫人が主人のはかまを持って現れました。
裁縫が得意な奉公人頭は 不在。
主人のはかまと聞いて他の者たちは尻込みしていました。
そこへ 便所掃除に向かうため
偶然 通りかかった さき。
思い切って言います。
しかし「裁縫ができるはずもない」と→
夫人は聞く耳を持ちませんでした。
「できると言っても信じてもらえない むなしさ」。
この時 味わった悔しさを
さきは 生涯 忘れませんでした。
[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山家が 一人の女性を
屋敷に招きました。
♪♪~
娘たちに 義太夫節を習わせる事にしたのです。
♪♪~(義太夫節)
稽古をつけるのはかつて活躍した 女義太夫…
徳島の実家を救うため上京した
あの 北野うしでした。
実家は
その後 粉問屋を畳みましたが→
うしは 東京に残り→
弟子をとって 義太夫節の指導に当たっていたのです。
この時 稽古部屋の世話係になった
奉公人。
それが
19歳に成長した さきでした。
「お互い実家が没落し
食べていくために上京した境遇」。
2人が打ち解けるのに
時間は かかりませんでした。
後に家族となる うしと さき。
2人を結び付けた運命の出会いです。
う~ん…。
う~ん…。
いやぁ~…。
ただ…
ちょっと… 意地ですね。
さきさんの意地ですね。
あ~ ありがとうございます。
母 さきが 大切に保管していた一枚の写真があります。
(取材者)洋品屋?
「暫新帽子製造 正木屋北野」。
え~ すごい。
うしと さきは→
帽子や洋服を製造販売する
洋品店を営んでいた事が→
分かりました。
2人が [外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]山家で出会った大正12年。
実は 当時 うしは恋人との間に
20代になる一人息子がいました。
さきの逆境に負けない心の強さが
すっかり気に入った うし。
身寄りのない さきには
願ってもない誘い。
しかも 裁縫の腕を生かしたい
さきにとっては→
うしの洋品店で働ける事は
何よりの喜びでした。
さきは
奉公を卒業。
大正13年
1月→
うしの息子
北野徳次郎と結婚しました。
ところが
その僅か7か月後→
徳次郎は
急死。
盲腸炎を
こじらせた事が原因でした。
しかし さきに ふさぎ込んでいる
時間は ありませんでした。
時代は 和装から洋装への転換期。
男性は およそ9割が外出時に帽子をかぶるほど。
女性も 「モダンガール」という言葉が
流行するほどの洋装ブームでした。
さきの作る帽子や洋服は
飛ぶように売れます。
それから 2年後…。
いらっしゃいませ。
うしが 一人の男性を
店に連れてきました。
見るからに職人風情の男。
うしの おいっ子で→
漆職人の正端菊次郎。
後の武の父です。
(取材者)珍しい お名前ですね
正端って。
自らのルーツを一切語らなかった
菊次郎。
番組で追いかけてみました。
まず 明治32年生まれの菊次郎の戸籍を→
ひもときます。
菊次郎の父 つまり武の祖父にあたるのは→
正端友八。
祖母は エツ。
菊次郎は 次男として