浅草に生まれました。
ところが 父 友八は→
菊次郎が生まれる直前に死亡。
その後 エツは
別の男性との間に→
3人の子供を
授かります。
そこで
この3人の子供の行方を追い→
菊次郎に関する手がかりを
見つけようと試みました。
菊次郎の異父兄弟 正春の
小学校の作文が→
墨田区の資料館で見つかりました。
テーマは「関東大震災からの復興」。
しかし 家族に関する記述はなく
手がかりは つかめませんでした。
その下の弟 春之烝が
暮らしたアパートも→
板橋区で
捜し出しました。
晩年まで1人暮らし。
10年ほど前に亡くなったといいます。
残りの兄弟の消息も
不明。
結果 新たな手がかりを
見つけだす事は→
できませんでした。
次に着目したのは→
「正端」という
珍しい名字。
日本の名字研究の第一人者
[外:27F0C69A76BF571D6DC25DB389D20779]信幸男さんは→
ルーツを こう分析します。
(取材者)同じ字で?
「正端」という名前のルーツも
徳島にあると思われます。
うしの実家 北野家があった
徳島市中心部から→
北へ およそ10キロ。
室町時代 勝瑞城が建ち→
阿波国の政治文化の
中心地として栄えました。
ところが 天正10年→
土佐 長宗我部元親によって城は落とされます。
勝瑞の名字を名乗ってきた
武士たちは→
この地を追われたのです。
その後 全国を調べたところ徳島県阿南市に→
「正しい」の字を使う正瑞家が 多く
集まっている事が分かりました。
現在も 阿南市に
10世帯ほどが暮らす正瑞家。
ルーツは 勝瑞城にある事を
伝え聞いてきました。
先祖への誇りを持ちつつ
字を変える事で→
正瑞家は 生き長らえてきたと
考えられています。
いやぁ~。
「菊次郎の正端家が いつの時代に徳島から上京したのか?」。
その謎は 最後まで
分かりませんでした。
また 「ずい」の字の
部首の違いについては→
明治の戸籍登録の際→
誤って登録した可能性が高いと専門家は言います。
明治32年
浅草で生まれた正端菊次郎。
父親は早くに亡くなり
母親も再婚。
幼少期より
奉公に出されたといいます。
漆職人になり
生計を立てていました。
そんな菊次郎を連れてきたのが
北野うしでした。
うしは 菊次郎が おいにあたると
晩年まで家族に話しています。
うしに手を引かれ 洋品店に
連れてこられたのは 27歳の時。
寡黙で 人のよさそうな菊次郎に
さきも好印象を抱きました。
大正15年5月17日→
北野家を残したいといううしの願いを受けて…
その4日後
菊次郎は さきと結婚しました。
2人の運命の糸を
うしが 手繰り寄せたのです。
ところが この菊次郎…。
(三輪)ウフフフフフフ…。 お姉さん…!
(三輪)困りますねぇ。
なんと 結婚から僅か5年で洋品店を潰してしまった菊次郎。
店の売り上げも 自分の財布。
持ち前の人のよさに加えて→
ばくちに手を出し 借金を
抱えた事が倒産につながりました。
昭和6年
うしは店を手放し 1人暮らし。
菊次郎とさきは 幼い長男と次男を