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2018/08/06(月) 15:50〜16:50 ten.【西日本豪雨1か月…兵庫・京都・広島・岡山の被災地を徹底取材】[字]


被爆者の平均年齢が82歳を超えた今、
当時の記憶を語り継ぐ伝承者の役
割は増しています。
先日、
原爆投下の日を前に大田さんが訪れたのは、
広島平和記念公園内にある供養塔
です。
>>被爆されて、
あと引き取り手のない遺骨ですとか、
身元の分からないものをすべてこ


こに集めて供養をしているわけで
す。
>>その横には、
73年がたった今も、
遺族を捜していますと書かれた張り紙が残されていました。
>>5歳まで住んでいたのは、

この辺りにはなると思うんです。
>>浮かび上がってくるふるさと
の記憶。
>>例えば、
鏡台、
そこの所にガラスが突き刺さって
いるとか、
それからタンスですね、
たんすも鍵をかけるようになっていたんですが、
それが飛んでしまってるんです。
だから、
そういうようなの見て、これどう
したんね?というふうに聞いたら、
これ、原爆でやられたんやけ、
ピカのせいじゃけというふうな話はしていました。
>>当時、遊び場だった小学校の
グラウンドには、原爆投下の直後、
穴が掘られ、およそ2000人の
遺体が並べられたといいます。
そのグラウンドに建つ慰霊碑には、
遺体を掘り起こした際に見つかった溶けたガラスの破片や陶器、
制服のボタンがまつられていまし
た。
被爆体験の伝承者になって3年。

大田さんは、
ある人のもとを訪ねました。
>>先生、
ご無沙汰してます。
>>びっくりした。>>大田です。
>>被爆の体験を受け継ぐ梶本さ
んとの再会です。
>>お元気そうで。
>>いや、もう、
おかげさまでね。
>>悪かったじゃない?>>体調ちょっと…。
>>70歳を過ぎ、
再び原点に立ち返りたいと考えていた大田さん。
忘れかけていた何かがよみがえり
ます。
>>肉がえぐり取られて、骨が見
えて、
皮でぶら下がってるんです、ぷら
ぷら。
もうこれはかわいそうでした。
>>やっぱり説明のしかたとかね、
そんなんでも、
分かりやすいようにとか、
今のでも、絵なんかもね、
いろいろ工夫をされてるんだなと。>>あれね、大田さんに習ったん
よ、私もいろんな人の聞きながら、
できるだけわかりやすく。
今、本当に知りませんよ、生徒が。
>>おっしゃるように、
どんどん分かりやすく変えていく

のが、一番大事やと思うんです。
分かってもらわないと。
活動のほとんどは意味ないですからね。
>>この日、
大田さんが訪れたのは、関西学院大学。
>>どうも、こんにちは。
>>原爆や平和について学ぶ大学生を前に語ります。
彼らもまた、
高校生や中学生に、
原爆の恐ろしさを伝えたいと考え
ています。
>>道端に転がっている中学生や
女学生が腐っていきます。
原爆の強い熱で焼かれた体が、
太陽の熱で腐り、
ハエがいっぱいたかっていて、
歩くとハエがぱーっと逃げます。死体を踏まないように歩きますが、
皮がめくれたまま死んでいるので、
その皮を踏んだとき、はだしですから、
ぬるっとしたあの感じは、
今でも思い出すといいます。
たくさんの死体がある中を、北へ、
北へと、
一日中逃げていきました。
>>被爆体験を自分のものにするっていうのは、
すごい難しいことで、
伝承者さんが自分のものにしたものを、次、
私たちが自分のものにするってい
うのは、もっとたぶん、
難しいと思うんですけど、


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