2018/08/15(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都“五条通”はなぜ道幅が広がった?】[字]


そういうものに対する反発っていうんですかね、
これはやっぱり沖縄で生まれ育っ
たものでないと、
なかなか。
>>本当の怪獣を生み出すものは人間の心の中にある。
それが、
平和を願う金城のメッセージではないだろうか。
金城はおよそ4年間でウルトラシ
リーズの製作から身を引き、特撮
の世界から去っていった。
そのころ、沖縄は日本に返還され、
新しい道を歩み始めていた。
ふるさとに戻った金城は、
沖縄の古典芸能の脚本作りに、
力を注ぐ毎日を過ごす。
そんな金城に、
国から沖縄で開催する、
こくさいはくらんかいの開幕式を
演出してほしいというオファーが
舞い込んだ。


>>これが、
沖縄国際海洋博覧会の進行台本で
す。
金城哲夫氏がですね、心血を注い
で、
みずから舞台演出の責任者を務め
た、
直筆の進行台本です。
>>国と沖縄の懸け橋になることに精力を傾け続けた金城哲夫。
不慮の事故で、
その死は突然やって来た。37歳の生涯だった。
金城哲夫の死から42年の歳月が

過ぎた今も、
ウルトラシリーズは、
金城の遺志を継ぐ、新しい担い手たちによって作り続けられている。
脚本家、
伊藤こうじ。子どものころ、金城哲夫が生み出
したウルトラマンを見て育った世
代だ。
>>やっぱ子どもをなめて作って
ないなというのを、すごい思うん
ですよ、見てて。
あの当時とかでも、ウルトラマン
はやっぱり、
こういう特撮物だと、パイオニア的存在だと思うんですけど、
単なる宇宙人が来て戦って勝ちま
したみたいなだけに、最初からし
てない感じっていうのがすごいな
って思います。
単純に悪者を量産していないとい

うことなんだと思うんですよね。
来て殺しただけになってないとこ
ろっていうのは。
>>ことし、
ウルトラマンが沖縄に帰ってきた。
沖縄を舞台にした新作の上映会に、
大勢の親子連れが集まっていた。
子どもたちは、ウルトラマンから
どんなメッセージを受け取ったの
だろうか。
>>金城が作ったウルトラマンと
いうのは、
戦士とかではなくって、
平和の使者みたいな捉え方を、
金城はしてたような気がしますね。
金城がウルトラマンの生みの親だ
ということはね、
ファンを沖縄に引きつける、そう
いう意味での役割っていうのは、
とても大きくて、
その沖縄に行った人たちは、あっ、
沖縄ってこんなとこかって理解す
るわけですよね。
それがものすごく大事で。
>>沖縄は今も戦争が残した負の遺産を巡り、
本土との隔たりが埋められないま
まだ。
敵と味方、善と悪さえも分からな
くなってしまった沖縄の戦場。
あの怪獣を、

人間は二度と生み出してはならない。
>>沖縄県の人々全体の安全、
普通に当たり前に生きる権利を保障してほしい。
復帰後、いや、
戦前から続く大和、日本の差別的な行動、
卑劣なやり方をただしてほしいと
いうことを言っているのです。
>>金城哲夫のように、本気で懸
け橋になろうとする人間が、今ほ
ど必要とされているときはない。
こうした中、
金城を訪ねて、沖縄に足を運ぶ人
が増えている。
50年前に、金城哲夫がウルトラ
マンに託したメッセージ。
平和の尊さを伝え続けてほしいの
だと。
>>当時、ウルトラマンを見てい
た55歳ぐらいの方がたくさん今、
おられて、あれはただの。