2018/08/15(水) 15:50〜17:53 ten.【若一調査隊!京都“五条通”はなぜ道幅が広がった?】[字]
そこに住んでいた住民はすべて強制的に立ち退きを強いられたので
す。
当時、
建物疎開を強いられた人は。
>>台所も当時、なんにもなかった、
全部取られてしまった。
>>きょうの若一調査隊は、観光
都市、京都に残る、
戦争の意外な痕跡。五条通の建物疎開、
その実態に迫ります。
建物疎開は、
主に大都市で実施され、
最も多かったのは、
東京の20万戸。
次いで、
大阪の8万戸、
京都は2万戸が取り壊されました。
大阪市生野区や福岡市、
横浜市などは建物疎開の現場となり、
今も疎開道路と呼ばれる道路が残
っています。
そんな中、
京都市内を東西に貫く京都随一の幹線道路、
五条通も建物疎開の現場となった
道路の一つ。
道の南側の建物がすべて取り壊さ
れ、
50メートルにまで道幅が広げら
れたのです。
では、
建物疎開はどのように行われたのでしょうか。
>>こちらにですね、
長年にわたって、
建物疎開の聞き取り調査をなさっ
ている方がいらっしゃるというこ
とですので、
お話を聞いてみたいと思います。恐れ入ります。
>>どうぞ。
>>どうもどうも。
こんにちは。お世話になります。
若一です。
若一です。よろしくお願いします。
>>どうぞ。
>>およそ12年前から建物疎開
の体験者の聞き取りを行っている
古澤さん。
そして、
広島県出身の被爆者で戦後、
おばを訪ねて京都に移住した折場さんも共に調査を行っています。
この2人を中心としたメンバーで、
11年前から聞き取り調査を基にした建物疎開に関する戦争展を毎
年開いています。
そこで多くの人が驚きとともに眺めるのが、
建物疎開前の五条通を復元した地
図。
地図の長さはおよそ7メートル。
東山から千本通までの範囲を描いています。
>>これがもともとの五条通です
ね。
>>そうです。
>>これが4、
5メーター。
昔はこういうかくがあったというのも、今全部これ聞き取りで調べ
て。
>>そうです。
>>これよく分かります。
建物を潰したあとですね。
>>そうです。ここ、跡地なんで
す。
>>今現在ね。
同じ場所。
>>道幅が今と全く違いますね。
>>全く違います。
>>さらに、今では片側4車線の
五条大橋も、戦前は今より狭い一
般的な橋でした。
地図で見てみると、五条通の南側
のこの範囲で、建物がすべて取り
壊されました。
建物疎開の対象が広範囲であるこ
とが分かります。
この詳細に復元された地図。
実は聞き取り調査を基に、
折場さんが1人で描き上げたもの
なんです。
>>折場さん、超大作ですね、こ
れ。
労作ですね。
>>私らから見たら、
あんまりたいしたもんじゃないん
ですけどね。
建築業ですしね。
>>大工なさってたんですよ。
>>そうなんですか。
>>図面は描いてやってきたからね、その当時は、
この五条通いうのはね、強制疎開
されて、広い道になってね、
その両端は皆、畑で。
>>しばらくは戦後、
放置されたという状況なわけです